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あなたの「空(くう/コンシャスネス)」を広げる案内人&草の根ブロガー、あつこです。

(不慣れなため、前回記事では、これを書くことを忘れました!)



さて、前回の記事

 

カウンセラーやセラピスト、ヒーラーは

フルーツの盛り合わせのようなものを

お客さんにお出しする仕事であると

と考えてみてください。

 

「これが自慢の梨なのです。自信の味をご賞味ください。この梨があるからこそ、10,000円なのです」と

自分に認めている価値の中心(つまり梨)

に焦点を当てて金額を示します。

 

フルーツ盛り合わせを食べたお客さんは

「食べてみて分かったけれど、リンゴが食べたかったんだわ、私。このリンゴ、おいしいわ。これがあるなら10,000円は妥当よね」と

自分のなかで

腑に落ちたところに焦点を当てて評価する。

 

そういった

“差し出しているつもりのもの“と

“受け取っているつもりのもの“との間には

実は隔たりがあるのだけれど

なぜか両者の納得のもとに

対価の交換が行われているのが、この業界・・・

(この業界に限らず、ありがちなことではありますが)

 

といったことを書きました。

 

そもそも

何を基準に価格を定めるかが

難しいサービスを提供しているため

カウンセラーやセラピスト、ヒーラー側から

自分の提供する価値を金額という形で示すことで

お客さんも

その金額に見合った

自分の望む価値提供を受けられることを

イメージしやすくなる、ということはあると思います。

 

つまり

「私の自慢の梨が入っているんだから10,000円いただきます」

「私の食べたいリンゴがあるから10,000円支払います」。

 

メインで提供しているつもりのもの(梨)と

メインで提供されたと思っているもの(リンゴ)の間には

隔たりがあっても

双方が「10,000円」を基準に価値を測っているため

なんとなーく

お金を介したエネルギー交換が上手くいくわけです。

 

なんだかワケが分からんが

運用上、それで上手くいっているなら

それでいいんじゃないの?大人になろうよ!的世界。

(私も異論はありません)

 

むしろ私にとって

よく分からないのが

「自己価値が高い」

というやつ。

と言うか、状態です。

 

この世は二元の世界ですから

「自己価値が低い」というのがあるならば

「自己価値が高い」というのがあって

バランスが取れているわけですね。

 

極めて個人的な感覚ですが

「自己価値が低い」という状態・状況・表現は分かるんです。

しかし

「自己価値が低い」の対極に

「自己価値が高い」があるとは思わない。

 

シンプルに

「自己価値が低い」の反対は「自己価値が高い」であり

「自己価値が高いこと=良いこと」である。

 

そういうふうに

単純に思うことのできる人々がうらやましい!

(嫌味に聞こえるかもしれないが、それこそ単純に本音である)

 

カウンセラーやセラピスト、ヒーラーという職業を前提とすると

(多分、前提としなくても)

「自己価値が低い」の対極に位置するのは

「自己価値=0(ゼロ)」なのです、私の場合。

 

0(ゼロ)より上に行くことがない。

と言いますか

0(ゼロ)より上がそもそもないし

0(ゼロ)という表現を使っての

謙虚さのアピールでもありません。

 

ということで、また続きます。

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