さて、前回の続きです。

「自己価値が高い」という状態が、私にはよく分からない、ということ。私にとっては、「自己価値が低い」の対極は「自己価値=0(ゼロ)」であること。

この「自己価値=0(ゼロ)」とは「自己価値が高い」の別の表現への言い換えではありません。

それを説明すると長くなるので割愛します。

ひとつだけ書くとしたら、私の感覚で言うと「自己価値が高い」とは、どこかしら “まがい物“ なので「自分の自己価値を高めよう/自分の価値を認めよう」とするのは、ある時点までで卒業されたほうがよいのではないか、ということ。(成長のプロセスのなかで、一時的な状態としてはアリだと思う)

本日は

「人は支払った金額の分だけ受け取れるので、料金を高く設定してあげるほうが、実はセッションを受ける人のためになる(=高くするのが人助け)」

という考えについて。

これは、カウンセリングなり、セッションなりを受ける側の意識を整えるうえで有効とは思います。

意識を整えてカウンセリングなり、セッションなりを受けるのとそうでないのとでは、受け取る内容や質がまるで異なってくるのは確か。

ただし

「価値あるものを無料で与えること、安く提供することは、受け取る側に見えない負債を負わせることになる」

とかという発想については眉唾ものと思っています。

この手のアメリカ方面(?)から入ってきている概念を、きちんと検証したことはありませんが、いろんな思想を都合よく繋ぎ合わせたものに見えるのですが、どうなんですかね。

・「エネルギーは等価に交換/循環する」という、物理学的エネルギー理論

・「自分の価値を認めて、自分を表現しましょう」という、セルフイメージとビジネスに関わる西洋的自己啓発理論

・「自分の価値を提示して、相手と対等に取引しましょう」という、外資系企業的契約理論(他者との関係における、自己の地位と権利の確立)

こういったものをごちゃまぜにして、“自己肯定“ と “ビジネス“ につなげている感じがはなはだ気色悪いので「いわしのアタマも信心から」的に鵜呑みにすることができず、皿に乗った「いわし」を放置しているのが私の姿。

真理っぽいテイストが付けてありますが、ベースにあるのは、西洋のセールスマン教育です。

「お金に関する制限を外す」というのは人気のあるテーマで、スピリチュアルリーダーの言っていることとか、セミナーで聞いたこととかを、自分で精査することもないまま、受け売りを鵜呑みで実践している人が多いような気がします。

(人間は、語り手が言っている内容が正しいか/妥当かよりも、語り手自身のもつ力強さに引っ張られるものだから、自然な姿とも言えます)

鵜呑みの実践であっても、ある程度までは効果が出ると思います。それを信じて実践していれば。

料金設定の件を通して、いろんなご意見をいただき、何でもかんでも“ブロック扱い”するのもいかがなものかと思いましたね。

料金を決めるに当たり、自分の価値と、自分の都合にやたら焦点を当てて見るということが私にはできません。

(自由になったつもりで、別のものに囚われているという、両極間の瞬間移動は空しい)

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