「TRUE DETECTIVE/二人の刑事」を観ました。刑事ものとして評価がとても高いアメリカのドラマです。私は刑事もの、サスペンスものが好きなので、その括りにおいて好評なのはよく理解できます。7年もの間、警察でコンビを組んだコール刑事(マシュー・マコノヒー)とハート刑事(ウディ・ハレルソン)が喧嘩別れの後、どちらも退職して刑事を辞め10年後に再会。かつての事件の続きを再び捜査する、という流れになっています。まずは刑事ものとして相当面白いです。

その一方で、このドラマは(主にコールの視点から見た)魂の救済を描いているように感じました。コールは2歳の娘を事故で失ったことがきっかけで妻と離婚、テキサスからルイジアナへ移ってきた哲学的でシニカルな刑事。凄腕でありながら彼を理解する人が少なく、周囲の高評価は相棒のハート刑事へと集まりこそすれ、コール自身は出世することがありませんでした。そんな彼の含蓄あるセリフに私はついつい注目してしまいます。

(伝道師は詐欺師だと思う?)ああ。(悪党と?)はるか昔からな。“トンネルの先に光あり” そう牧師は期待させる。分析医と同じさ。彼は聴衆の期待や幻想を助長させ、それをよしと説く。これで献金を稼ぐ。こんな最悪の特権意識を与えてどうする?“すべては俺のため” “俺は重要な人間”というわけだ。

ここでは「牧師」と「信者」について言っていますが、宗教に限らず、幸福への先んじた対価としてせっせとお金を出すこと(「まずは出すことで欲しいものを受け取る資格ができる」という信者的立場の思い込みや教祖的立場からの刷り込み)、自分自身の存在価値や権威をアピールする者、そして権威的存在に何かを明け渡した者たち、すべてに当てはまる内容です。

(俺は小難しい言葉を使わないが、存在意義を見出せない者は思い悩むものだぜ)人は誰も“人生の罠”に陥る。物事は変わるって思い込みだ。別の街に越せば出会いがあり、生涯の友を得て、恋に落ちる充実した人生だ。達成感。そして幕引き。バカ言うな。クソみたいな混沌がたまる一方だ。何も達成できない。死ぬまでな。それに幕引きだと?何も終わりゃしないんだ。

アファメーションしようと、設定変更しようと、信じ込みを書き換えようと、自分や人生の何かが変わった気分にはなりますが、実際に起きているのは、昨日も今日も景色が違って見える同じ道をウロウロしつづけている、ということで、結局何も変わっていないんだよね、というのと同じことを言っています。同感です。

仕事中考える。こんな遺体写真を14時間も見てると考えちまうもんだ。やったことあるか?彼らの目を見る。写真だっていい。死体でも目から読み取れる。何が見えると。死を受け入れている。もちろん最初は違う。だが最後の瞬間、完全な安らぎを得る。彼らは恐れていた。だが今はじめて分かる。受け入れるのは簡単なんだと。彼らは最後の100億分の1秒で自分が何なのかに気づく。自分という壮大なドラマは適当な思い込み、バカな願望にすぎなかったと受け入れるんだ。必死でしがみつく必要はない。そして理解する。自分の人生のすべては、愛や憎しみ、記憶、痛みは同じものなんだと。全部同じ夢なんだ、この密室の中で見ている。

コールは退職後、世の中からも警察組織からも距離を置き、表に出ないよう独自捜査に労力をつぎ込んできました。そんなとき仲間割れしたかつての相棒ハートに再会し、彼を説得してともに犯人を捜し出します。そして瀕死の重傷を負い意識不明に。そんななか闇のヴェールの向こうに死んだ娘と父親の愛を感じ合一します(臨死体験のひとつと思われます)。やがて意識を回復したコールの姿は、あたかもボロボロのイエス・キリストのようです。彼の目には、闇一色だった世界が違うものとして見えていました。

車のほうへ連れていってくれ。もう病院はうんざりだ。(まったく困ったやつだ。普通は断るが、お前は殺しても死なない。服を取りに戻るか?)要るものは何もないさ。

超深読み&こじつけ解釈をしますと、闇のヴェールの向こうで出会った死んだ娘と父は「子」と「父」。そこに「聖霊(コールの悟った意識)」があっての三位一体(「父」と「子」と「聖霊」)。「聖霊」とは神の活動する力であり、その意志を成し遂げる力を意味するようです。そして「聖霊ってどこにいるのよ?」と問われれば、私たち人間とともにあり、私たちを助けるように働き、目覚める瞬間を待っているのだろうと思います。※私はキリスト教信者ではありませんので、あくまでも「勝手に思ったこと」として書いています。

「TRUE DETECTIVE/二人の刑事」、アマゾンプライム会員であれば現時点では無料で観られます。シーズン1です。

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