温浴施設に行き

足つぼマッサージを受けました。

昨日までの出張が

チャレンジングな内容だったからか

本日の、まあ眠いこと。

明日から、報告書作成の仕事に着手します。

 

先の記事からの続きです。

「他者をこきおろす」文化と人柄(1)

「他者をこきおろす」文化と人柄(2)

「他者をこきおろす」文化と人柄(3)

「他者をこきおろす」文化と人柄(4)



こういうシリーズでは

どうしても「負の資産」に

フォーカスした表現になるので

 

あたかも

愛知・名古屋には

「村社会の負の資産を引き継ぐ」

人達ばかりが

いるかのようですが

そうでもありません。

 

キルギスを旅したとき

日本で

暮らしていたという

現地のガイドさんに

「名古屋の人はケチで、見栄っ張りと聞きました」

と言われました。

(キルギスの人にすら・笑)

 

しかし

私の知る限り

ケチでない人も多いし

(安定的に豊かな経済圏で、お金に困っていないということもあると思う)

 

何か相談すると

親身になって

動いてくださる人もたくさんいて

 

特に老いた父の件では

いろんな方の

お世話になりましたし

今も何かと

地域の人達には

親切にしていただいています。

(家や車の購入とかについては、見栄っ張りなところがあるのかもしれないけれど、細かな話で言うと、抽選券5枚で1回、くじを引くことができる場合、「私1枚、余分にあるからあげる」と、福引の列に並んでいる見知らぬ私に抽選券をくれた人は、今でに何人もいるし、セールス全般のクロージングもしつこくない。ある意味、素朴で、他者の事情に沿う気持ちがあるわけです。私も名古屋出身なので、ローンで買物をするのは嫌い。見栄っ張りとは思っておらず、金利を支払うのがもったいないでしょう、ってだけ)

 

より多忙/多様

ということもあり

自分の価値観を

基準として

他者にあれこれ

関わろうとすることが少ない

というのが

首都圏の人達の特徴。

(「人は人、自分は自分」が徹底している)

 

東京・神奈川の人達が

みんなそこそこ親切で

ソツがなく

他者に不快感を与えない

社交術を身に付けているとするならば

 

愛知・名古屋の人は

ブレが大きい気がします。

 

首都圏の人達以上に

親切に他者に

関わる人も多いけれど

 

都会には

棲息していないレベルの

「こきおろし系コミュニケーション」

の人達も見かける。

 

後者を分解すると

① 人の流動性があまりない、村社会独特の社会的価値観を土台としていて

② 特有の「コミュニケーションスタイル」を世代間で踏襲しており

③ ①と②に、その人自身のメンタルブロックが絡んで、複合化していることが多い。

 

そして

今回の一連の記事は

後者について取り上げてきました。

 

で、唐突ですが

「こきおろし漫才」。

 

あれがウケる背景や理由には

2種類あると考えています。

(見ていてイヤな気分になる人、好きではない人も結構いると思う)

 

「芸」なので

センスが必要ですし

あって当たり前。

 

素人同士の

「こきおろし合い」

とは違います。

 

「芸」や「芸風」の背景に

個人的な倒錯した感情や

他者に対する

ネガティブな意図がなければ

 

そういったエネルギーが

トークや言葉に乗らないので

「こきおろし」も

悪くない感じがあります。

 

なので

プロ芸人でなくても

他者をこきおろして

イヤな感じを与えない人は

 

そうでない人と比べると

ベースのエネルギーや

放つエネルギーの

質が違うのだと思います。

 

もうひとつは

きちんと検証していませんが

「こきおろし漫才」が

ウケる時代、時期というのがあるように感じます。

 

時代が大きく変わる

変化のタイミングであったり

社会変動のなかで

メンタルが不安を抱え込む時期など。

 

そういうときは

● 観客のストレスを解放し

● 観客の不安定なメンタルに安定感(+カタルシス)をもたらすので

 

プロによる

「こきおろし」の代行(芸)が

大衆の支持を得ているような気がします。

(社会に対するやりきれなさや、自分の生き方について気持ちが揺れる時代には、それらを代わりに表現して解放する、前衛的であったり、アンダーグラウンドであったり、子どもが夢中になると、親がいい顔をしなかったりする文化が人気を集めるのと、似ているかな)

 

ということで、「こきおろしの文化」についてのお話はおしまい。

 

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