モロッコからの帰国後、仕事が忙しくなりました。

ただ仕事が忙しくなっただけであるならば、たまにはブログの更新もできますが、出張が多く、かつ長く、出張先で、しなくてはならないことがてんこ盛りでそれどころじゃなかったのよ、奥さん!っていうのが本当のところ。

7月に入り、私の感じるところを書きまーす(#^.^#)



それは「個人的な好み」が消えていくと、逆に「個性的になる(=その人らしくなる)」ということ。

私はいろんな仕事をしていますが、それぞれの仕事やそれらの仕事の中身に対する「個人的な好み」は、それほどありません。

何年か前までは(ものによっては、比較的最近まで)

・好きなタイプの仕事と、そうではない仕事

・好きなタイプの顧客と、そうではない顧客

・仕事を通して成し遂げたい何かと、成し遂げることなどどうでもいい何か

・こうであるべきを反映させたい仕事と、こうであるべきなどそもそもない仕事

みたいなものが、まだまだいっぱいありました。

今は、一見したところのそういった両極の差異がなくなってきています。

それはすなわち、好きも嫌いも、個人的な達成目標も、仕事に対して抱く理想もないということでして、そうなってきますとストレスが溜まりにくくなる。

個人的な好みや価値観がなければ、好みや価値観の尺度から何ミリずれるも何千メートルずれるも、ありえないことだからです。

そして、一見すると相反するようですが、個人の好みやら、価値観やらから自由になるほど、ただ「自分をやっていく」だけになるため、その人自身の個性と、その人ならではの成果が表れます。

その表れた個性が「存在としての軸」でして、「存在としての軸」はカルマ的な色彩から遠い本質であり(完全には自由ではないけれど)恐らく、そこに在るとき、その人は、何をしていても、その人を生きていて、何事かが自動的に成就され、何かの経験値を知らず知らずのうちに積み、人生を通じて完了すべき何かを確実に完了させていくことができます。(それが、その人ならではの成果です)

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