先の記事からの続きです。

「弱い人」についての考察(1)

「弱い人」についての考察(2)

「弱い人」についての考察(3)



アルコール依存症&ホームレスのおじさんも

変わった人でした。

 

あくまでも

私の目から見ると

「変わっている」ってだけですが。

 

何が変わっているかというと

彼を拾った社長と同じく

「褒められたものではない現状」が

どこにも存在していないかように振る舞う、という点。

 

ホームレスになる前

早稲田大学を卒業、

広告代理店に入社し

そこで営業をしていたようです。

(妻子もいた)

 

早稲田大学出身であること

中堅どころの広告代理店で活躍していたことなど

 

すごく嬉しそう

すごく楽しそうに

それが現在のことであるかのように

語っていました。

 

過去がどうであれ

現在は

「アルコール依存症でホームレス」

なわけで

 

私だったら

現在をベースに発言・行動します。

 

しかし

彼のマインドにおいては

「自分は今も社会のエリート」なので

一見すると卑屈なところが見られませんでした。

 

卑屈にならないのはおかしい

卑屈にならなければいけない

ということではないんです。

 

でも

「心の底から今もエリート」ならば

出身校や

過去に勤務していた企業の話を

持ち出す必要などないわけですね。

 

そういう

「保有している闇のパターン」が

 

基本ダメで弱い人でありながら

 

世のため、人のための

理想・理念をぶち上げて

大きな顔をしていた社長とそっくり。

(「類は友を呼ぶ」)

 

社長は

「ボクはおじさんを囲っているんです。それって、なかなかできないことでしょ?」

と言っていました。

(ちなみに、おじさんは会社が急に大きくなる前に死んでいます。したがって、当時社長が借りていた、会社近くのマンションの一室<倉庫兼作業場>を寝泊りにあてがわれていた)

 

おじさんは

アルコール依存症でホームレスだったので

酒のニオイに敏感なのか知りませんが

 

社長が何かから逃避しつつ

酒をあおっている飲み屋を

敏感に嗅ぎ取り

 

その場に行って

社長の酒の相手をしては

飲食を御馳走になっていました。

 

その当時は

そのおじさんを含め

「普通にみんなで飲みに行く」機会も

しばしばありました。

 

そして不思議なことですが

おじさんは

私が大好きだったそうです。

(「あの人はいい人だ、優しい人だ」とよく言っていたそうです)

 

私はおじさんに対し

よくも悪くも

何か特別扱いをするわけでなく

ただ普通に、一緒に飲んでいました。

 

私がほかの人より

温かな善人だった、

ということではなく

 

単におじさんとの間に

何の利害関係もなかったので

「普通に接し、普通にしゃべり、普通に笑い、普通に飲んでいた」

のです。

 

(社長と私のように、利害関係のある間柄ならば、早々に冷たい関係へと突入していたはず)

 

好かれて嬉しいかと言われれば

「どうでもよい(あるいは、ほどほどにしておいて欲しい)」

が本音です。

 

しかし

たとえばこうやって

おじさんのことを文章に書いている、という事実。

(おじさんのことだけではないけれど)

 

かつて、たまたま出会った霊能者に言われました。

(この話はまた後で)

 

こういうのって

霊の気持ちを代弁する性質のものでもあるらしく

「あなたが優しいから。分かってくれると思って寄ってくるのね。言わされているのよ」

とのこと。

 

私は優しくありませんので

寄ってこないでくださいね!

お願いします。

 

そうは言っても

お盆が近いし

たまに思い出してあげることが

供養のひとつになるのかもしれません。

(自分という個体性やアイデンティティに対し、関心をもってもらえる、構ってもらえる、ということに、この世を去ってなお、愛を感じる、執着をもっている、のかもしれませんね)

 

(つづく)

 

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