「弱い人」についての考察(5)


先の記事からの続きです。

「弱い人」についての考察(1)

「弱い人」についての考察(2)

「弱い人」についての考察(3)

「弱い人」についての考察(4)

 

社長の妻である取締役は

社長に比較すれば

「普通」に近い感覚をもっていました。

 

したがって

「アルコール依存症&ホームレスのおじさんを、会社のマンションに住まわせることに、どんなメリットがあるのか(そんなものはないから、おかしなことは止めろ)」

と社長に訴えていたようです。

 

社長は

「メリットがどうこうとか、言うこと自体が心が貧しい証拠」

と最初は退けていたみたいですが

 

何をどのように取り繕ってみても

結局のところ

「弱い人」「弱者」を自分の傘下に置いておく

という状況を作ることが好きなんですね。

(諸材料から判断して、そうとしか思えない)

 

酒を飲むにせよ

ワイワイ羽目を外すにせよ

それを「弱い人」や

「社会的に劣位に置かれている人」と行なうことで

 

自分自身の居場所や

居心地の良さを

得られるタイプが世の中にはいるのです。

 

私個人としては

一見したところの

「強者」「弱者」のイメージ

(出世しているとかいないとか、お金をもっているとかいないとか)

はともかく

 

「ストレスを与える側」は

「ストレスを受ける側」よりも「強者」である、

とみなします。

 

社会的「弱者」から

世の中的「勝ち組」がストレスを受けているとしたら

実は「弱者」のほうが力をもっていることになります。

(「弱い人」とは「弱さ」で勝利を収めんとする人でもあります)

 

それはそれとして

ポジティブでパワフルで

非の打ち所がない人は

その社長にとっての

「脅威(ストレスをもたらすもの)」であり

 

一緒にいたのでは

居心地が悪いので

 

酒の場面に限らず

仕事においても

自分が気持ちよく酔っていけるような

「お人よし」「弱い人」「弱者」

を周囲に置きたがるわけです。

 

「弱い人」と親和性のないエナジーで生きている人は

「弱い人」や「弱者」のトップに立とうとはしません。

(それは必ずしも「弱い人」や「弱者」を蔑むということを意味しません)

 

住んでいる世界がまったく別で交わらない、ということです。

 

普通の感覚により近い

社長の奥さんの発案により

 

印刷業の納品、集金の一部を

おじさんに担当させる

(=仕事を与える)ことで

 

「マンションに囲い、飲食を負担すること」

との折り合いをつけようということになりました。

 

当初は、おじさんも

それなりに仕事をしていましたが

 

やがてそれをすっぽかしたり

彼を囲っている社長同様に

一時的に姿をくらましたりするようになっていきます。

(かつて勤務していた広告代理店は、クビになったのか、自分から辞めたのか知りませんけれど、そのときも、アルコールに溺れ、少しずつ打ち合わせ等をすっぽかすようになっていったらしいです)

 

奢ってくれる人には奢ってもらうし

親切にしてくれる人には「ありがとう」と言いますが

それは先方が好きでやってくれていることである

という認識をもつに過ぎず

 

当人は働きたいわけでなし

世の中の「普通」の人が考えるような

「まっとう」へと

人生を変えたいわけでもないので

周囲の「おじさん再生プログラム」みたいなものには

乗っかりません。

 

「普通」の人が

「普通」に考える

「こうしたら、当然更生するだろう」

が当てはまらないのです。

 

「普通」とは

随分と違う構造のメンタルをもっています。

 

(誰かを、どうにかして更生させたい場合、世の中的に「まとも」とされる側の人たちによって、一生懸命考えられたプランが、なかなか上手く機能していかないのには、そういう背景もある)

 

(つづく)

 

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