いろいろと忙しくて、更新の間が開きました。

仕事の合間を縫って、せっせと何をしていたかというと「食器類の整理・処分」。

これも実は故・愛犬ニケちゃんが出発点。

私は、そもそも不用品処分が三度の飯より好きなので、不用品って家の中にそれほどないのです。ただし食器類については、親が人生を通じて貯めてきた箱入りの品々等があり、それなりに処分はしてきたものの、「処分する⇔残す」のライン上で微妙なものが手元にまだありました。

で、かわいいかわいいニケちゃんの件なんですけれど。

四十九日が過ぎたら、庭にニケの骨を埋めて、その上に花壇を作ろうと目論んでいます。

その後に残るであろう骨壺を「燃えないゴミ(陶器・ガラス)」で出したいのですが、私、自治体のゴミ回収袋が「もう何も入らない」ってくらいにパンパンになっていないとイヤなんですね~(「燃えないゴミ」に限らず、です)。「もっと入るのであれば、どんどん捨てろ」なんです、私の気持ちは(笑)

で、「骨壺とともに捨てられるものを探せ!」という展開に。

箱入り新品食器は、リサイクルショップへの寄付として、以前からときどき物資を送っている「ホームレス支援団体」へと発送しました(なので、こちらは骨壺と運命を共にしない)。

改めて振り返るに、親のDNAにより、ステキな食器(作家さんが作ったものなど)は特別なときにしか使わず、普段はしみったれた、それこそ何十年も愛用しているモノを使う、ということが習慣づいておりますが、それって逆に勿体ないよね。しかも我が家の場合、人間の身体も口もひとつしかないのに、食器類が沢山あってどうするの、って話。私の死後、遺した美しい食器類は、誰が使うのか。ただ捨てられるのならば、それも悲しい。なので「数十年ご愛用」みたいなのはバンバン廃棄し、素敵な食器を普段使いにするようにしました。

そんな整理・処分のプロセスで感じたこと。「湯呑とお椀と箸があれば十分」。それに加えるとしたら、平たい皿一枚と汁椀でしょうか。種類もデザインも、多様なバリエーションを持つ必要はない。

こだわりを持つのであれば、それら計5品の選択に、個人的なこだわりを反映させればよい(作家モノにするとか、高級ブランドにするとか、●●焼きがいいとか、●●塗りがいいとか、海外で買ってきたとか、自分で作ったとか、好きな絵柄が入っているとか、色がかわいいとか、形が好きとか、以下略)。

自分のところに多種または各種、取り揃えたものを通じて、自分を演出し、盛り、他者よりも先に自分を騙すという “トンデモ街道” をひた走るのが、世の中の大多数の生き方です。そうではなく、自分のエッセンス(本質)がすべてに染み渡り、何をしてもそこに表現されるので、自分を生きるにあたり最小限のモノしか必要としない、というのが “まっとうな筋道” です(それを理解していれば、何をどれだけ所有しても構わない)。

「湯呑とお椀と箸があれば十分に豊かに暮らすことができる」のも、「スピリチュアルに生きている」ことのひとつの表れと思います。興味を引かれるとか、こういうのもあったら便利とか、そっちも素敵よねとか、こっちも私に必要なのかもしれないとか、使いこなせもしないものを手元に集めて “幸せ気分” になるのは、「スピリチュアルな生き方」ではありません。「スピリチュアルマテリアルビジネス(略して、スピ系)」のセミナージプシーになったり、ツールを集めて、自己拡張感に浸ったりするようなもの。

ときどき思うんですけれどね、「スピリチュアルに生きている」人と話をするのはとても興味深く、楽しい。そういう人達は「スピ系」のことに、あまり関心がありません。一方で、仕事は達成したい目的があってすることだから別にして、プライベートで「スピ系」の人とつるむのは気が進まない。

私も一応、セッションなるものをやっていますが、お越しになるのはやはり「スピ系」の方が多い。セッションに来なくても生き方を修正できるように、すべての人にとって最大公約数のエッセンスをここに書きます。

ただちに「スピ系」を辞めて、「スピリチュアルに生きる」道に進みなさい。

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