瞑想に関するブログになりますが、こちらの記事や、こちらの記事で書いたことの続きに当たる記事になります。

私が出張から戻ったとき、このたび16歳を迎えた愛犬は、出張前より “ぼんやり” “年老いた” ように見えます。肉体と魂の距離が離れた感じ、と言うのでしょうか。ひょっとしたら、世のお年寄りというのも、若い人達に比較して、肉体と魂が離れた状態にあるのかもしれません。(主に犬に関する記事という形を採りますが、犬を人間に置きかえて読んでいただいてもよいかと思います)



魂に寄ったら肉体に引き戻し、肉体に寄ったら魂に引き戻す

ある人(犬関係の仕事をしている方ではありません)にその話をしたら、「肉体を喜ばせることをして、魂を引き戻すようにするといい。例えば、美味しいものを食べさせる。ただし、それをやり過ぎると病気になる。さじ加減が重要だ。命には定めがあって、いろんな手を打って、肉体と魂を近づけようとしても、最後には打つ手がなくなっていく。去りゆく者を止められない流れというものがある」と言われました。

確かにおっしゃる通りで、私も動物的勘と言いますか、直感で、犬が身体を通して喜ぶことをするといいのでは、と思い、過去に何回か実行したことがあります。犬が元の状態に戻ると、そのやり方は引っ込めて、元のペースに戻します。

年が明けてから、仕事が立て込んでいて出張も多く、在宅時は仕事をしながら、ずっと一緒の空間で過ごしているものの、犬に対し、気持ちを据えて相対していなかったところがあります。そして昨年中は30分で歩いていたコースに対し、50分を要する状態になってきたわけですが・・・。

今週辺りから、意識を変えて取り組んだところ、また30分の散歩へと復活してきました。そうか、そうなんだ、という感じです。

若い者と年老いた者の違い

より若い犬に対しては、肉体に住まう “野生” を鎮めるように、人間側が接することが重要で、肉体を喜ばせるような煽り、精神に興奮を招くやり方は禁物と認識しています。“犬に対する態度” ということでいえば、それが正しく、まっとうな道。

しかし、ウチの犬は今や16歳の老犬です。刺激のない空間でボーっと過ごしていると、注意力散漫なボーッとした精神状態になり、ボーっとした精神状態では、肉体と魂が分離していく。ここ数カ月を見ていて、そんなふうに感じました。

犬のエネルギー構造をよく知っているわけではないけれど、恐らく犬においても、感情を含めての精神(アストラル体にメンタル体の性質が若干加わったような領域)が、肉体(肉体+エーテル体)と魂(コーザル体の次元には至らないが、犬にとって、それに近似的な役割をもつ領域)をつなぐ役割を果たしている、とおおよその見当をつけることができます。


若かった頃のような、冒険的な散歩はできませんが、ちょっとした傾斜を歩いたり、溝を飛び越えたり、肉体に備わっている知恵を使うような、“野生” をちょっと刺激するような、身体の生かし方が必要なのかもと、ここ数日を通して感じています。

肉体と精神、魂のバランスが整ってこその「生の全体性」

人間にも似たところがあり、三大欲(一般的には「食欲」「睡眠欲」「性欲」とされる)に支配されっぱなしの肉体を生きているだけでは、この世に生まれてきた意味がなく、反対に肉体的な欲を絶ち、浮世離れしていくのも同様です。

肉体、精神、魂、どれかを偏って大切にし、どれかを偏ってないがしろにするのではなく、バランスが大切。

肉体も、精神も、魂も、フルに活用して生きること、それが「生の全体性」であり、「生をまっとうする」ことだと思います。

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