私には引きこもり・ニート・不登校の人たちのサポートをする仕事に携わっていた時期があります。なので、そういった人たちの何人かとは今なお親交があります。最近、気づいたことがあります。



不登校の子は別にして、引きこもり・ニート(特に引きこもり系)というカテゴリーに分類される方は「考えている時間」がとても長い。

何かを前にして、それをするかどうか、とても長い時間考えます(常に「考え中」状態)。この「長い時間考える」というのが曲者です。

「本当の意味で考えているのか」

→ 決定・行動に対する何らかの恐怖があるため、単に「保留(ブロック設定)」ボタンを押しているだけなのではないか、対外的には「考えている」ことにしているのではないか

と、私は思います。

※ これまでに、いろんな方から得た情報や感触を元にしています。

つまり「現実において答えを出す」「現実に関わる」ことが怖いんですね。

でも、「答えを出さない」でアタマのなかで繰り広げている世界をあたかもリアルな世界に起こりうることのように思い込むことで、かえって面倒なことになっているようにも感じます。(思い込んでいるので必然的にそうなる、という面も確かにあります)

ビックリするのは「あの子は今どうしているの?」と尋ねると、数年前から状況の変わった人がほとんどいない、ということです。同じ生活パターンであったり、同じアルバイトを続けていたり。(もちろん、積極的に続けたくて続けているのかもしれないのですが)

引きこもり・ニートという現象には、必ずそれを支えている存在があるので「長い時間考える」状態にあっても、生活の存続が可能です。

その一方で、人生の展開が早く恵まれているように見える人たちがいます。その多くは、そのときどきで宇宙から目の前に差し出されたレッスンをきちんと消化してきています。彼ら・彼女らは差し出されたレッスンを「保留」にしつづける、ということがありません。

「しばらく考えます」というような反応を見るにつけ、「『考える』って、あなた、何を考えるんですか?何かを先送りにしているだけではないんですか?」と思いはしますが、思考のゲームのなかで「のんびりとした人生」を送るというのが、彼ら・彼女らの今回の生のテーマなのかもしれません。

思考は非現実。真理からは程遠く、自分自身で設定したプログラム(潜在意識)にしたがって、アタマのなかをグルグル回る。思考の世界に生きることを自ら選択している、そんなふうに感じます。

彼ら・彼女らは思考にとてもこだわる、という特徴をもっていますが、今回の生では、それをやり切りたいのかもしれません。それもまたよし、だと思います。

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