更新の間が開きました。外側に向かって話したいことも、今やそれほどないのです。

前の投稿記事から、当記事までの間に、数十年に一度の大型台風が関西で猛威を振るい、北海道では震度7の地震。

前者に関しては、その日私は用事があって朝から外出。終日、外の見えない場所にいたため、台風の全貌を知らないまま、朝も帰りも傘を差すことなく終了しました。

記事タイトルの「雨を降らせし者」とは、海外ドラマ「スパルタカス」における、剣闘士スパルタカスの別名。カプアの大地には長く雨が降らず、神に剣闘士の血を捧げることで雨乞いをしようとしました。切り裂いても突き刺しても死なない巨人剣闘士のテオコレス(”死の影”)を、スパルタカスが遂に倒したところで滝のように雨が降り出します(スパルタカスのライバルである剣闘士クリクススの協力も勝利の陰にはあった)。

支配者層も民衆も待ち望んだ雨を降らせたことで、スパルタカスの名はさらに知れ渡り、奴隷でありながらも、それなりに特別扱いされるようになります。史実として、雨を降らせたという記録があるのかどうかは知りませんが、ドラマではそういうストーリーになっています。血みどろの戦いや生贄によって、雨や人間にとっての利得を引き寄せようという試みは、満月の夜に財布を振る人々(私はしたことがないです)が存在する現代をはるかに遡った時代からあるわけです。

世の中には雨男(女)とか、晴れ男(女)とかと言われる人達がいます。晴れて欲しいときには晴れ男(女)の存在がありがたく、雨を求める状況では雨男(女)の価値が高まります。どちらがいいかは人間都合で都度決まりますので、「晴れ男(女)→〇」「雨男(女)→×」というわけでもありません。

ちなみに私は「外を歩く間は雨が止む女」です。しかし止まないときもあります。晴れ男(女)も一生傘を差さないわけでなし、雨男(女)にも晴れる日があるわけで、「晴れ男(女)」とか「雨男(女)」とかは単なる傾向に過ぎません。あくまでも「晴れ女(雨男)な気がする」だけのこと、そこに統計学上の有意差など存在しないのかもしれません(※統計学上の有意差があって初めて、「晴れ男(女)」はより多く晴れを体験し、「雨男(女)」はより多く雨を体験している、と科学的に結論付けることができます)。ただし有意差が認められない主観的な違いを「確かにある違い」とみなしている事例は、人間社会において無数にあります。

「意図的な引き寄せ」とは、ざっくり言うと「晴れて欲しいときに晴れ」「雨が降って欲しいときには雨が降り」という状況を作り出そうというのと似ていて、雨が降るか降らないかで、その人の幸福が決まるという状態/状況に、その人があることを示唆します。一方で “雨が降ろうと晴れていようと影響を受けない生” を生きられるかどうかと “覚醒” は密接にかかわり合っていて、私の関心はそこにあります。

意図(マインド)による現実化、脳の使い方のコツを掴むと人生を幸せに過ごすことができると思っている人は、それを実践していかれたらよろしいと思います。意図(マインド)によって現実化してもいいし、脳の使い方次第で望む創造ができてしまったりしても構いませんが、マインドや脳という限界のある機能から作り出される世界は、それが自分に都合のよいものであったとしても、全体性からは遠い。個別性から全体性へと生きる軸足がシフトしていくと、意図や脳ベースの具現化への関心が薄れていきますね。どうでもよくなる、そういうことは。

ところで、もうちょっとしたら私は旅に出る予定になっています。関西空港発着です(エミレーツ航空)。関空が冠水した、というニュースを聞き、出発がその3日後とか1週間後とかなら、もっと一喜一憂して気を揉んだかもしれません。しかしそうではなかったこともあり、フライトがキャンセルになったとしても「それならそれでいい」と思います。

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