ときどき

「自分の闇を、外に開示することを自分に許し、他者に開示することによって、自分と他者を信頼するということを学んでいく」

みたいな言説を、ネットで見ます。

 

言わんとすることは分かります。

 

ただし

“自己開示” だろうが

“汚い自分を敢えて見せる” だろうが

他者に対する「作法」はある と思うのですね。



「他者をこきおろしている」

だけでは

他者を利用して

自分の鬱憤を

晴らしているに過ぎません。

 

私自身もかつて

「人一倍面倒くさい人」

でしたが

 

ゆえに現在

「面倒くさい人」に

(「この人は、過去の自分だから」等と)

特別温かい

厚待遇で接する

ということはなく

 

「あなたは面倒くさい人ですね」

と感じていることが

相手に早く、自然に

伝わるようにしてあげるのが

むしろ親切なあり方と思います。

 

私自身に関しては

そのような意思表示を

してくれた人のほうが

● 私の成長

● 泥沼でうごめく時間をいたずらに長引かせない

というふたつの点において

助けになったからです。

(「よしよし」と受け入れてくれる人ばかりだと、「そんな自分でもいいんだ」と、パターンが強化され、いくつになっても「こきおろし」を繰り返すことで、愛を得ようとする人間になっていたと予想する。「自分の “精神的ウ●コ” は、なるべく自分で処理するようにしないといけない」と、肝に銘じる機会を早めに得ることは大切だと思う)

 

「こきおろし」は

「本音」ではなく

「本音の手前」にあるものです。

 

「ボケ、カス、アホ、ブス、死ね、出てけ」→「こきおろし」

「私はあなたが羨ましくて/あなたに優しくして欲しくて、つい意地悪を言ってしまいました」→「本音」

 

開示するのであれば

「こきおろす」ことになった

自分の深いところにある

「本音」まで伝えない限り

 

「自分や他者を信頼する」

という地点に到達しません。

 

むしろ

信頼していないから

自分が傷つきたくないから

「こきおろすことで」

自分を安全地帯に置き

相手の反応を見ている人が多いはず。

 

信頼しているのであれば

「あなたが羨ましい。私ってダメなのかな」

「もっと私のことを大切にして欲しい」

と始めから

もっと具体的で率直な

表現を採ることでしょう。

 

そして

「こきおろした」後であっても

「あなたが羨ましくて、ついあんなことを言ってしまった」

「さびしくって、意地悪を言ってしまった」

という

 

「本音」を伝えてこそ

相手に対して

誠実で真摯であったと言えます。

 

相手に対し

誠実で真摯でないのに

 

相手から

誠実で真摯に

対応してもらおうとするのは甘え。

 

「この人は寂しいから、こんなふうに突っかかってくるのだな」

等、受け手が察することで

成立している関係は

恋人同士、夫婦、親子

ごく親しい友人関係などで

たくさんあろうかと思います。

 

互いが納得しているならば

それでいいのですが

適用範囲を拡大して

 

どんな人にでも

「察して温かく相手をしてもらう」

ことを期待するのは

幼児性の強い

「大人になりきれない人」なんですね。

 

「こきおろし」は

先のシリーズでも述べた通り

“精神的なスカトロプレイ”。

(そんなお互いを許し合い、受け入れあっている間柄であれば、どんどんすればよろしい)

 

腹を割り

己の“ウ●コ” を

「ど~んと」

「これでもか」

と、見せまくっているかもしれません。

 

でも、どうして

そういう “ウ●コ” が

自分の内側で作り出され

 

そういう自分の

“ウ●コ” を

相手にぶつけたくなるのか

を伝えなければ

 

どれだけ

「こきおろし合っても」

(=“ウ●コ” をぶつけ合っても)

「本音」で付き合っている間柄とは言えないと思います。

 

また

「本音」というのも

どこの誰にでも

伝えるのではなく

相手を選んだほうがよいでしょうね。

 

「本音」を言えば

「本音」を開示すれば

 

他者から受け入れられる

自分や他者を信頼できるようになる

他者から信頼されるようになる

とは限らず

 

「聞く作法」を

心得ていない人に

ぶちまけても

これといって

得るものがない場合もあります。

 

その見極めも、「話す作法」のうちです。

 

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