新たにいろんな人と知り合う機会が増え、Facebook上でのつながりも増えました。

するといろんな人が発信したり“いいね!”を押したりした「宇宙からお金を引き寄せる」的な記事で私のフィードがあふれ返るようになりました。



リアルで知り合いになっても、自分から“友達申請” をすることが、私の場合、ほとんどありません。

逆に“友達申請” をいただくのが、スピリチュアルなことに関連した方からの場合が多いので、そういった記事がどんどん流れてくるのかもしれません。

そこから分かること。

スピリチュアルの世界周辺にいる人の多くは、お金を引き寄せたくて仕方がないらしい、ということ。

そして、スピリチュアル界でよく耳にするのが「お金は愛のエネルギー」という言葉。

これは本当なのかしらね。

愛のある人の場合、困ることがあっても、どこかしらから何かしらのサポートがやってくる、という意味で、経済面でも破綻することはないと思います。

しかし、そういった人たちは必ずしも、この世的なお金持ちではない。

そして愛のない金持ちも、世の中には、たくさんいる。

私は「愛もお金もエネルギー」ではあるけれど「愛とお金は、直接的な等価関係にあるエネルギー」とは一概には言えないと思っています。

そして「愛とお金は、直接的な等価関係という意味で、同じエネルギー」という前提をもつと、いつか破綻をきたすとも。

私も時間とスキル・知識を提供し、それらを得ることに時間や費用といったコストをかけてきていますので、その対価としての料金は、仕事においていただいております。

しかし私の感覚においては、ですが、やけに高いセッション料金、アチューンメント料金、ワークショップ料金。

それらアレコレを支払うことができるのであれば、既にお金に困ってなどいないでしょう、というような価格設定のものも多いですね。

こういったお金・豊かさの引き寄せ系メニューに申し込むのは、恐らく不安な人たちであり、必ずしもお金に困っている人たちではないのです。

よほど関心をもてば、その限りではありませんが「会いにきてください」を「愛にきてください」、セッションなどの料金を「円」ではなく「縁」と書く人のところに、私は出向きません。(このところ「縁」と書く人は減ったように感じています)

その人に会うために、お金が必要なイベントに対し「愛」とか「縁」とかという文字を使う時点で、嘘くささを感じます。

「縁」をもつためには「円」を渡すことが必要で、お金を渡すことで「愛」やら「縁」やらに触れることが可能になるわけです。

意味を置き換えるような当て字をわざわざ使うな、です。

「愛に基づいたビジネス」というのも同様で、純粋に個人的に仕事のなかで、愛の行為を実践していくことは十分にできると思います。

しかしそれを組織的に行なうとか、愛のネットワークを作っていく、とかは不可能である、というのが私の見解。

それが可能ならば、過去にもいろんな宗教やボランティアの団体が素晴らしいビジネスを世の中に提供してきているはず。

そして「愛=お金」であるならば、それに関わった人たちは、経済的にも大発展しているはず。

・・・ですが、大きく発展しているとしても、大元や大元に近いところにある組織だけのことがほとんどです。

組織のもつ欺瞞性になぜ気づかないのか。

それも、こういった記事が流れてきたときに感じる “不思議” のひとつ。

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