屋根裏のライト2つ、キッチンのシーリングライト&調理台ライト、ダイニングの引掛ローゼットの取り替え工事が終了しました。今は取り寄せのダイニング用ペンダントライトが届くのを待っています。ライトが新しくなるというのは、気分のよいものですね。

取り替える必要がなさそうなので、このまま使い続けますが、こちらのライトは、今の家に建て替える前の最初の家に付いていたもの。すなわち使用歴50年です(我が家は50年の間に「1階平屋建て→2階部分を増築→全解体後新築」という歴史をもっている)。

最初の家の子ども部屋の天井にあったライトが、現在の納戸で使われていたり(まだ使用可能な状態だそうですが、やはり使用歴50年)、ひとつ前の家で、建て増しした2階にあった私の部屋のライトが、先日までキッチンの天井にあったり(このたび新調しました)、場所を変えて、同じものが使われ続けているのも我が家の特徴。

照明って、こだわりだすと意外に値の張るものだったりしますので、増築や新築のたびに新調して取り付けるのではなく、気に入っているもの、まだまだ使えるものを引き続き活用しよう、という判断だったのかもしれません。今回の工事に先立ち、いろいろと調べてみた限りでは、照明機器は10年を目安に取り替えるのがベストだそうです。




さて、「その人の人生が透けて見える」シリーズ。『家』のことを語り出したらキリがないので、ふたつ目の視点へと移ります。

ふたつ目の視点は『最初の瞬間』です。出会いの『最初の瞬間』は、その人のすべてを物語っている、ということ。

「第一印象が大切」といった、処世術の話ではありません。私の経験上、例えば最初の対面時に「???」という、言葉で表現できない引っ掛かりを感じさせる人は、最終的に「やっぱり変(へん)な人だった」で終わります

私はさめたところが大いにある人間ではありますが、底意地の悪さはないと思っています。

「この、言葉にするのが難しい引っ掛かりは、私の先入観のようなものに違いない。一切捨てて、まっさらな心で接するようにしよう」と決め、『最初の瞬間』の印象を放棄してお付き合いしているうちに(忘れっぽいので『最初の瞬間』の感じを忘れてしまう、という面もある)、「???」という奇妙な展開となっていき、それに伴い『最初の瞬間』を思い出します。そして「今にして思えば、最初にもたらされた、あの奇妙な感覚は正しかったのだ」という結論に至ります。どこかで聞きかじってきたことを持ち出して、「私の違和感(=思考)が現実化した」とか言うのは止めてね、それ違うから(笑)

「腹を割って付き合ってみたら、会った第一印象とまったく違う人で、あの人のお蔭で、私の人生がさらに豊かになった」というような展開は、残念ながら、まずありませんね。ただし「変な人」からも、学ぶことはたくさんあります。

ここまでをまとめますと『最初の瞬間』のひとつ目。それは、言葉で表現される一歩手前、言葉にすることが難しいような “その人の何か” が、出会いの瞬間に、その人のすべてを伝えている、ということ。

ふたつ目は、反応のパターンと言い換えられるかもしれないけれど、言葉には、その人の人生(過去と未来)が表れますね。『最初の瞬間』のエナジーを出発点として、それと齟齬をきたさないように組み立てられていくという性質を、言葉はもっています。

ひとつ目が “その人の質” だとしたら、ふたつ目は “マインド(思考)”“その人の質” の一部が、“マインド(思考)” であるとも言えます。

私の仕事は、20年やってきているマーケティングリサーチ業を含め、「人の話を聞く」という要素が重要な部分を占めます。他人のことだから気づきやすいだけで、私も他人のことをとやかく言えませんけれど、人間って、深い考えなしにいろんなことを話すことも多く、そんな些細なことからも、今までの人生のパターンと、これからの人生の予想図が透けて見えてくることに気づきます。

前向きに何かをしているつもりだったり、前向きな発言をしていたりしても、例えば「“前向きさ” という表向きの衣装と、からくりを使って、自分やイヤなことから逃げているんですね」「これからも同じパターンで生きていくんですね。今の発言が、それを選択したことを示しています」などと感じることが、しばしばあります。

それは心の声でして、あえて指摘することは、あまりありません(物事には適切なタイミングというものがある)。なぜかと言うと、人間って不思議なもので、ここだけは聞く耳をもって欲しいような一番重要なポイントは、指摘しても見事にスル―するんです。一番のキモと言うか、ツボについては、無意識にしているのか、あえて外すのか、そもそも視界にも耳にも入らないようなのです。

片や、あまり重要でない表面的なアドバイスについては、ありがたがって実行したりします。そっちだけ、せっせとやっていても、似たような問題はまた起きてきますが、当人としては前向きに対処しているつもりなので、なぜ再び同じような問題が生じてくるのかを理解できません。

理解できないことを、今回こそは見つめて理解しようという気持ちにならない限り、その先はありません。そういう理論上見えないはずの 『後ろの正面』 にあるものを、カルマと言うのだろうと思います。その構造に自分で気づかない限り、お手軽なツールの活用で幸先が良いように見えても、最終的に不発な結果に終わる。そういった、その人なりの一連の図式(パターン)は、『最初の瞬間』から作り出されてくる、いろんな言葉のなかにも見事に表れます。

「たまたま、そうなった/そういう選択をした」ということも、「たまには」あるかもしれませんが、人生においては小さなことから大きなことまで「一事が万事」であることがほとんど、という自覚を常々もっているほうがよいでしょう。

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