ハーバリウムを3つ作りました!

玄関に、外からの日光が入りにくいので、観葉植物のモチがよくなく、プリザーブドフラワーはどうだろう?なんて思っているうちに、ハーバリウムがいいんじゃない?となり、Amazonやら楽天やらをたくさん覗きました。

結局、どれがいいのかよく分からず(多分、どれも決定打に欠けていたんだろうと思う)、自分で作ってみたらどうだろう?楽しいし~ってことで、岩倉まで単発レッスンに行ってまいりました。

サロンにて、私の作品を先生が撮影すると、こんな感じ。

 

 

夜、家で私が撮影するとこんな感じ。

夜が明けて、家の各所に配置してみました。

リビングです。このモンステラからは根が出てきたので、近々鉢に植え替えたい。

キッチンです。下に配置した材料が、上に浮いてくることがあるらしく、それを回避せんがために、中にいろいろと詰め込み過ぎた(笑) ※後日、光が通るように中身の一部を抜きました。そちらをご覧になりたい方はコチラ(別ウインドウで開きます)。

ハーバリウムを自作することになった直接のきっかけである玄関の様子。はめ殺しの窓の前で。 ※こちらも後日、中身の一部を抜いたら、とてもスッキリしました。そちらをご覧になりたい方はコチラ(上のリンクと同じです)。

ハーバリウム作りでは、ボトルの中に「標本ちっくに何を入れる」かを、最初に決めます。

それらをボトル内に好きなように、楽しみながら配置し、でき上がったところで、シリコンオイルを流し入れます。

先生が言うには、他者の作品を見て、自分がそのように作ろうとしても決して同じにならないし、そういうふうに作ったとしても、自分のサロンにマッチしないものになるのだそうです。

プロフェッショナルとか、アマチュアとか関係のないところで、作る人が違えば、表現されるものも自ずと異なる、そうならざるを得ない、ということですね。


今回、初のハーバリウム製作ということで、勝手の分からなかったところ、もし次回作ることがあれば気を付けたい点がいろいろあります。それはそれとして、こんなことを感じました。

「その人らしさを支えているのは、コンテンツ(中に詰めるもの)が何かということもあるが、それ以上に、コンテンツの間を埋める何もない部分(『間』『スペース』)のあり方である」

コンテンツは、ミモザを使うとか、赤いバラを入れるとか、自分が材料の選択肢から選ぶことができ、自分だけでなく、みんなが同じ材料を使って作ることも可能です。しかし、同じ材料を使っても、同じ作品が人数分できるわけではない。それぞれの作品の違いが何から生まれるかというと、コンテンツとコンテンツの「間」や「スペース」の取り方なのではないでしょうか。

そしてお花の領域でなくても、何かの芸術家とか、クリエイターと呼ばれる人達は、「間」や「スペース」の取り方(どんな要素を取り揃えているかよりは、何がなくって、ないモノがどのように表現されているか)が、ほかの人達と一線を画していて、それを他者は真似することができない/追随のしようがない。「あるもの」を真似るのは容易だけれど、「ないもの」を真似ることは難しいので。ゆえに何をしても、表現しても、芸術家やクリエイター自身から生まれる、独自のものにしかなり得ない。そういう領域にある人達なのだろうと思います。

翻ってみると、人間は、何を学んだとか身に付けたとか、外からのインプットが大切で、それらが自分自身を向上させ、揺るぎないものに変えていくかのように感じるものです(もちろん、知識や学習も大切です)。しかし、むしろ重要なのは、自分の内部に取りこんだもののうち、不要な部分は捨て、エッセンスを自分という中心から再配置/再構築すること。それらが体現されているとき、自分の内部には、誰も実現し得ない均衡の空間(『間』や『スペース』)ができ上がっていて、それがその人らしさ、その人だけの “Art of being(存在の芸術)” を形作ります。

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