私はその昔、とても自意識過剰な人間だったので「人にどう見られるか」「どう思われるか」を、自分なりに、かなり気にしていました。




ところが恐らく周囲の人には、とてもじゃないけれど「人にどう見られるか、どう思われるかを気に病んでいる人には見えていなかった」ように思います。

「人にどう見られるか」「どう思われるか」は気になるけれど、どう振る舞っていいのかが分からないので、逆に傍若無人になるという“反動形成”タイプでした(笑)。

しかも真の意味で、他者が私について「どのように感じているか」を気にしていたわけではなく、自分が自分に対してもっているイメージ(セルフイメージ)を対外的にも維持する、ということに腐心していました。

たとえば「私はクールで、強くて、わが道をいく人である」というセルフイメージからズレないように、行動や言動や物事を決めるときの基準に気をつけていたわけです。(実際のところ、「クールで、強くて、わが道を行く人」という面がたくさんあるから、大筋では整合性のある、あり方なんですけれどね)

このところ自分を振り返って感じることとして「人にどう見られるか」「どう思われるか」が、ほぼどうでもよくなっている、ということが挙げられます。それを人は、「オバちゃん」と呼ぶのかもしれません。

マナーとか常識とかに関しては、社会生活上お互いが気持ちよく暮らすために、気をつけねばならないことがあるでしょう。しかし、それ以外に関しては、どうでもよくはありませんか?

自分の気持ちよりも、まず先に人の気持ちや反応を大切に考えねばならないとしたら、そこにもブロックが眠っているとみなして、ほぼ間違いなし、です。

何があっても「言ってはいけないこと」「してはいけないこと」というのは、あるとしても。(そういうのも、「ほぼない」と思います)相手に怪訝な顔をされたり、失笑されたり、バカにされたり、叱られたり、いろいろあるかもしれません。

でも正直に「言いたいこと」を言って、「したいこと」をするのは素晴らしい!他者の反応を、ひとつひとつ気にしなくなる(というか、気にならなくなる)のも素晴らしい!

何よりも、自分の内側にストレスを溜めこまなくてよいので、さらに元気になり、どんどんパワーアップしていきます(←まさに「オバちゃん」の姿ですね)。

そして、ここが最も重要なのですが、問題を問題と同じ次元から見ているうちは、ずーっと問題のままなのです。

言い換えると解決しない問題を、ずっと抱えているということは問題と同じ次元に生きることを選択している、ということになります。

> そして、他者の反応をひとつひとつ気にしなくなる(というか、気にならなくなる)のも素晴らしい!

というのは、自分が鈍感になり、面の皮が厚くなるので、他者の反応が気にならなくなる、というのとは、まったく違います。

他者の反応が、既に問題ではなくなっているんです。そして自分の内面の表現や、衝動を大切にしています。仮に傷つくことがあっても、痛みを感じたら、その物事は完了するので、それでお終いなんです。「どうでもよくなる」って、すごく自由な生き方だと感じます。

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