電気工事を行ない、教室スペース入口の外灯がタイマーで点灯/消灯するようになりました。また、リビングのエアコンも買い替えました(今回はダイキンにしてみました)。エアコン工事に伴い、カーテンレールも取り替え、カーテンも大々的に洗濯し、なんだかとてもよい気分です。

10月下旬にエアプランツを買い、今ひとつ元気がないものが届いたように感じられるので、この子のお世話に情熱を注いでいます。

(キャンドルホルダーは、イランの考古学博物館のミュージアムショップで買ったもの。4ドルでした。おおよそ450円程度と考えるとリーズナブルです)

かつては私も「意図(マインド)による引き寄せ」に関心がありました。しかし現在は違います。関心があるのではあれば、いろいろ試みたらいいとは思いますが、いつまで経っても「引き寄せ」「願望実現」の世界を生きているのは、はっきり言いますが、限られた人生における時間の無駄遣いなので、早々に通過されることをお勧めします。

「意図(マインド)による引き寄せ」をしてはいけない、ということではありません。しかし自分の人生という広大なスペースにおいて意味のある行為とは思いません。

意図(マインド)で引き寄せなくても、存在による引き寄せとでも言いますか、「自分がどういう存在として在るか」に伴い、宇宙における繋ぎ合わせ、接点(縁起)が常に生まれて続けていて、「今起きていること」に取組み、未来に対し自分の味付け/色付けをすることなく、起きることにもまた取り組んでいけばいいのです。

と、書きますと「自分の願いが叶った状態の波動で生きていけばいいんですよね」等とおっしゃる人が出てきます。人間たるもの、よい気分で暮らしているほうが不愉快なことが起きにくいのは確かなので「自分の願いが叶った状態の波動で生きる」のも結構ですが、それも単なるマインドを使ったプラシーボ効果です。私はバスに酔う子どもでした。しかし毎週バスに乗って、ピアノの先生のところに通わねばならず、母はスーっとする飴玉を「これはお薬だから、舐めるとバスに酔わないよ」と私に渡しました。それを信じた私は、バスに酔うことがなくなりました。これは実話ですが「自分の願いが叶った状態の波動で生きる」というのも、それと同様のものです。表層の部分の操作で解決しただけのことであり、存在として根本的に何かが変化したわけではないので過信しないことです。

「何かを引き寄せよう」という発想自体が、「クリスマスには、サンタさんから、欲しかったアレをプレゼントとしてもらおう」というのと同じ類のもので、これもはっきり言いますが、幼い、未熟な精神から生まれてくるものです。

と、書きますと「いえいえ、意図で引き寄せるようにすると同時に行動を起こし、努力もするので、完全な他力本願ではないのです」等とおっしゃる人が出てきます。「行動を起こし」「努力する」。それはとても大切なことですね。

言葉尻に細かいようですが、「行動を起こし」「努力する」と言うよりはむしろ、「選択をし」「自分を捧げ尽くす」という表現のほうが適切かと思います。何でもやっていさえすればいい、というものではない。知性の不足した努力は実を結びにくいので、マインドを上手に使っていくことも必要ですが、アレコレ考えて近視眼的に試行錯誤する努力より、「選択に対して」「自分を捧げ尽くす」ことによって道は自ずと拓けます。

と、書きますと、湿度の高い、演歌の世界に近いところで生きている人は、「自分を捧げ尽くす」⇒「奉仕、犠牲、献身、貢献」辺りを思い浮かべるようです。全く違うんだけれどね。

さて、私は日時や場所を決めて多数の人が一斉に瞑想するとか、祈るとかという行為に元々懐疑的です。私自身、そういうのに1~2回参加したことはありますし、あえて否定するものでもないので、したければすればいいと思いますが、やっている人達が想定しているほどには効果がもたらされることのないものだと思います。

瞑想も祈りもエネルギーが動くので、多数で行なうほうが動きが大きくなるし、感じるものも大きくなります。それはそうなのですが、分かりやすい感覚がもたされるのは粗雑なエネルギーによってであることが多く、瞑想も祈りも重要なのは、何人が参加しているかよりはむしろ、どんな人達が行なっているか、です。相応しい力のない人達が、寄り集って瞑想したり、祈ったりしても自己満足に終わります(結果の見えない領域なので、自分達にとって成果を都合よく解釈することは可能)。瞑想や祈りについて、たまに質問されることがあり、そういうとき、私はそのように答えます。

「祈り」を「意宣り」と書く人達がいます。真偽のほど、またその由来について、私は詳しくありません。「意宣り」は文字から推察して、宣言やアファメーションに近いと思われます。「アファメーション」と聞くと、たとえば「私は月に100万円売上げます」みたいな小さな(ごくごく個人的な)願いでもOKな印象ですが、「祈り(意宣り)」とは大きなものであり、存在としての器と能力が、その成果を左右します。

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