リビングの掃出し窓の前に、ニトリで2000円くらいで買ったガーデンベンチを置いていました。洗濯物を干す際の踏み台にしていましたが、基本チープな作りであるためガタついているうえに踏み抜きそうで、体重をかける場所には細心の注意を払ってきました。

この先20年くらい?この家に住むと仮定すると、私も徐々に衰えていくわけで、先々のことを考え、安心して乗っかることのできる大き目の縁台に取り替えました。

それに伴い、ニトリのガーデンベンチをどうするか?という問題が浮上。私は不用品処分が三度の飯より好きですが、それと同じくらい、今あるものを活かした暮らしも好きです。

少し前の塗装工事よりさらに以前、外塀の改修を行なった際、職人さんが置いていった白とモスグリーンの塗料があり、それを使ってガーデンベンチを塗り替えれば、塗料もベンチも活用することができるじゃないか、という結論に。これを塗りまっせー!!!

で、塗ってはみたものの、まだまだ塗料が残っていまして、次に塗ることのできるものは何か、と考えました。このイスなんか、いいんじゃない?

塗ったベンチ&イスを、とりあえず2階の部屋に置いてみました。

丸イスはふたつあるので、もうひとつは玄関に。

しかし、塗料がまだ残っています。どうしますかね。ということで、これも塗った。

それでもまだ、塗料が残っています。使い切ってから缶を捨てたいので、次に何を塗るか思案中です。

さて、今や日本を代表する反面教師家族とも言える存在になっている秋篠宮家につきまして。私は時事ネタに疎い人間です。しかしこの御一家には注目しています。秋篠宮家は、日本や日本人の抱えている課題を可視化、顕在化してくれる存在でもあります。

眞子さんの婚約⇒結婚に関して言えば、小室圭さんが「海の王子」とか何とか、もてはやされた婚約報道の時点から、小室家に関する不穏な噂や事実が明るみに出てきている現在に至るまで、私は「結婚⇒皇籍離脱」という道筋をベストと考えています。何も破談にすることはないと思うし、結婚して皇籍を離脱し独立した生計を営むのであれば、それでよいと思います。

「家柄や生まれが釣り合わない」という意見をよく目にしますが、「家柄」や「生まれ」を比べるから釣り合わないように見えるだけで、不穏な情報が表に出ていなかった「海の王子」時代から現在に至るまで、私の目にはバランスの取れたカップルに見えます。表に出ないところで、庶民の税金が小室圭さん関連で例外的に使われ続けるのであれば「億単位の一時金を携えて早期に結婚⇒皇籍離脱」のほうがクリアだし、皇族に属するすべての女性たちが、国民の納得を得られるような相手と結婚してきたわけでもないでしょう。

新元号についても、決まったものに国民が異議を唱えて翻すことはできないのだから、私は何であろうとどうでもよく(書くとき面倒なので画数が少ないほうが好ましいですが)役所とか企業とか対応を迫られる人達が少しでもラクになるように、さっさと決めて伝えたらいいのに、と思っていました(国をあげてのイベント感を演出し、高揚したムードにもっていくのって案外大切なことなのね、と4月1日になってから理解しました)。

ところで皇族のお子さんが「〇〇を学びたい」「△△に関心がある」「××にチャレンジしたい」と言い出した場合、身元の確かな高いレベルの指導者が吟味され、あてがわれるはずで、そこら辺の “馬の骨指導者” が従事することはありません。庶民からすると羨ましい限りの環境ですが、その成果については残念に感じることもあります。

冒頭の話に出てきた、塗料を置いていった職人さんは、シーズンオフは職人さんですが、元々は若者に人気のある某ウインタースポーツの世界チャンピオンで、日本の草分け的存在です。彼は指導者に付いていないので、誰それの指導を受けたから頂点を極めることができた、という理屈は成立しません。指導者ありきではないのです。

話がまとまりなく広がっていくのでこの辺りで止めておきますが、スピリチュアルなことを含め「誰に」「何を習ったか」が、その人の未来を決めるとは限らず、どこまで行っても拓け行く道は自分次第。特にスピリチュアルなことに関しては「あれこれと誰かに何かを習いに行きたがる人ほど、どこへ行っても学べない」というパラドックスがあるように感じています。

勉強でも運動でも遊びでも、どのように学び実践するのが効果的なのか、そもそもどのようになされるべきなのか等、①正解の数は少なく、②それら正解に至るノウハウやヒントを学校やその道の専門家、業界における有名な人に教えてもらうことで上手くいく、という思い込みが、今の日本の人には強いですね。つまり、ちっともクリエイティブじゃないの。

秋篠宮家の問題は、皇族の問題であり、日本の問題でもあります。皇族個々人のもっているカルマ、皇族というグループにおけるカルマ、日本という国のカルマが現象として、例えば秋篠宮家のいろんな出来事にも表れているわけで、日本に生まれた者、日本人としての私たちのカルマの一部という意味では、切り離された他人事ではありません。「保身と慮りの違いをよく分かっていない」「事を荒立てず体裁を整えることをよしとする」「力をもった存在に従う/おもねる/長いものに巻かれる」という性向は、長年の歴史や文化を通じ、私たちの意識のなかにも同じように刷り込まれ、潜んでいると感じます。

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