12月最初の東京出張から帰ってきました。今月中あと1~2回、出張する予定です。

過去にいくつかの記事に分散して書いてきましたが、私は「お金とは全面的に愛のエネルギーである」とは思っていません。

「ときに『愛のエネルギー』としての働きをする」という程度の認識です。

ならば、世の中にたまにいる、ガバガバとたくさんのお金が回ってきて、ガハハと喜ぶ人(加えて、次へドンドンお金を循環させるかもしれない人)とは、どんな人かを、まとめておきたいと思います。



まず何よりもエネルギーの大きい人

私は、どこかの誰かに愛があるとかないとかよりも、その人達の保有するエネルギーが大きいか小さいかのほうが、お金の流れがどうあるかを決めると思っているんですね。

ゆえに「愛」の反対、例えば極悪人/悪徳な人物であろうと、その人達のエネルギーが大きければ、現実社会では大きなお金が回る。

エネルギーの大きい人は、何をしていなくても、多弁でなくても、存在するだけで、いろんな人達に影響を与えます。

例えば、心清く、言動も行ないもケガレを知らず、瞳の中に光がキラキラと輝いているような人であるとしても、その人自身のエネルギーが小さいと、お金は集まってきません。

無意識のレベルで、人間は「やってくれそうな人」や「やれそうな人」にお金を回すからです。

エネルギーの小さな心清き人に、エネルギーの大きな “やり手” が付いてサポートすると、“やり手” のエネルギーによって、お金が集まります。

人間とは、無意識のレベルであっても、お金が活かされない先に、支払いたくない生き物と感じます。

それは、『この世的損得勘定』が生まれ出る、手前のところにある意識です(ある種の弱肉強食、動物的勘や生存を求める本能によるもの)。

どんな人も清らかな人や愛溢れる団体に、進んで気持ちよく、寄付や喜捨をすることはあるでしょうが、清らかなだけの人や団体に対し、パワーのある人のサポートがない場合、そこに継続的な大きなお金の流れが生まれることは難しい。

集まったお金の活用には、知恵・知識・具体的行動・人脈などが必要です。

「この世」では、それらあってこそ、そこに新たなエネルギーやボルテックスが生まれる、という展開もあります。

集合無意識を揺さぶるのが上手い人

以前、この記事でも書きました。

それぞれの人の陰の部分に、どんな弱さや欲があるかは、何気ない意思決定にも如実に反映されます。人の気持ちを掴んで、ビジネスを拡大していく人は、集合無意識の扱いが上手いのです。

たまに受け取るセールスレターなどは、「この文章でこういった弱さを突き、こんな表現で欲を刺激し、こういう言葉で未来への期待を膨らまさせるんだろうな~」という要素がてんこ盛り、という点で参考になります。

「弱み+欲+期待」という単純な足し算ではなく、読み手にいろんなことを想像させることで、見えない部分に「弱み×欲×期待」の相乗効果を生み出すような網を作り出します。

大多数の人達が深い所に眠らせている「寝た子」を上手に突っついて、網で拾うようにしながら、根底から揺り動かしたときには、よりたくさんの人達を動かす、大きな力となるのですね。すなわち、結果として大きなお金(=エネルギー)が流れます。

なり切れる人、演じ切れる人、自分のしていることを信じ切れる人

これも、以前の記事で書きました。

執着の強い人、思い込みの激しい人、何かを強く信じている人、狂人や詐欺師。こういった人達は、ある意味で、彼らよりもマトモな人たちの心を揺さぶり、手玉に取ります。心のどこかに隙があったり、弱さ・不安を抱えていたり、いかがわしい欲を隠し持っていたり、という「普通の善人達」を相手に、強く信じ切って演出し、高説/説教を垂れることにより、その人やその言葉を信じたり、それらに乗せられたりする人が続出ってことは、いくらでもありますね。


「なり切れて」「演じ切れて」「自分のしていることを信じ切れる」人の、熱意・情熱・揺るぎなさに押され、お金を支払う人はたくさんいます。

継続性のある、上等なビジネスマンになるには、「この人、言っていることがどこかおかしい」と思われてはダメです。ただし先に述べたように、人間は、集合無意識(誰もが捨てきれない欲や恐怖、闇)を揺さぶられることで、より客観的かつ適正な判断をすることが難しくなります。

自分をジャッジしない人

何かにつけ、自分をジャッジする人の場合、自分自身のエネルギーが大きくならず、『なり切り』や『演じ切り』も中途半端で人々の心に入り込まず、集合無意識どころか他者の表面的な願望さえ揺さぶることができないので、お金は回ってきにくくなります。

自分をジャッジしない人、自分のすることにいちいち罪悪感をもたない人のほうが、流れには乗っていきやすいと言えます。

お金は「ハート」よりも「マインド」との関係が強い

お金は “経済的な価値を表わすツール” という性質がどうしても強いので、それを扱う場合、「ハート」を主人にしたくとも、実質的には「マインド」が司る部分が大きくなります。

為替や株式も、投資家の投資マインドや心理(←これもマインド)によって、市場で相場が上下/推移します。

残念ながら、「ハート」のみで投資や出資、出費することが可能なのは、一部の人達に限られます。

私も何かに投資しようとか、出資しようとかという場合、リスクを勘案しますので、まずは「マインド」で判断します。

そのうえで、いくつかの選択肢の中から、「ハート」が示す投資先を選択する、という順序になります。

「ハート」で候補を選択してから、「マインド」で絞り込む場合もあるかもしれません。

どちらにしても、冷静になって振り返れば、お金の支出なり、何がしかの対価を得る取引なりに関して、「ハート」のみから選択を行なう人達は少ないように思います(寄付などを除き)。

まとめ

以上のように書いてきますと、「大きなお金を循環させる人=あくどいところとの境界線上にいる人」みたいに読めるかもしれません。

そういう側面がある一方で、愛がいっぱいな人達も、そのエネルギーが大きければ、お金には困っていないのではないでしょうか(「愛の人」にケチをつけるつもりはないのです)。

二元的に言えば、どんなときも、悪の側に堕ちる危険と選択があり、一方でいかなる選択にも善となりうる可能性がある。

今の世の中、奇妙な人達が多数跋扈しているので、こういう文章を書いていても、読んでいても、具体的なイメージが、奇妙な人達の路線に沿って浮かびやすいということだろうと思います。

「お金は愛のエネルギー」だと思っている方たちには、是非、お金を通じて「愛の世界(お手本)」を創造していっていただきたいです。

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