私が習った先生によれば

「カバラとは、『受け取る』という意味であり、あるゆるスピリチュアルな教えの奥にある奥義で、ユダヤ教の教義として吸収される以前から存在していた」

また

「本来のスピリチュアルな教えには、東と西という隔たりもなく、哲学と宗教という隔たりもない」

とのことです。

 

先生はカナダに住んでいるので

日本にやってきてのクラスのほか

インターネットを使った音声でのフォロー講義

宿題(内観や行動プランの立案・報告、リチュアル、インナーチャイルドワークなど)もたくさんありました。

 

カバラでは

人間誰しも持っている、神へと続く10の質を活性化していきます。

 

チャクラの概念のごとく

下位(?)の質

地上へのグラウンディングに関係の深い

セフィラ(球)である「マルクース(王国)」から

天上界に近いエネルギーのセフィラ(球)へと学びを進めていきます。

 

ミステリースクールならでは、のところは

セフィラ(球)の上昇に伴い

エネルギーアセンションをしていくことと

「アビス(深淵)」を渡ること。

 

神の10の質のうちの上位3つ

「ビナー(理解)」

「ホフマー(知恵)」

「ケサー(王冠)」

それ以下のセフィラ(球)の間には

「アビス(深淵)」といわれるものがあります。

 

ごく標準的に生きている人間においては

この「アビス(深淵)」を

渡ることはないと言われています。


「ティファレット(美・調和)」

が、通常人間として生きている間に

到達しうる最も高い段階であるそうです。

 

昔、野坂昭如氏が

「男と女の間には深くて長い川がある~♪」

と歌っていましたが

 

そんな感じに

人間側からは超え難い

エネルギーの境界線(=アビス)が

存在しているとイメージしてください。

 

ミステリースクールでは

「より人間的なエネルギーと、人間として生きているだけでは到達しえない天界のエネルギーをつなぐ(つまり『アビス(深淵)を渡る」』」ことを

最終合宿で行います。

 

「アビス(深淵)を渡る」

ところまで、残っている生徒は多くありませんでした。

 

初回クラスの頃に比較すると、3分の1くらいにまで減っていました。

 

自分にとって課題の多いテーマにあたる

セフィラ(球)のエネルギーをクリアしなければならない

 

となったときに

「本当にその先に進みますか」

という

 

決意をうながす

宇宙からのテストがやってきて

そこで学びを止めてしまう人が少なくないようなのです。

 

私は「アビス(深淵)」を渡りました。

やはり渡る前と渡った後では

自分のエネルギー状態のクリアさが違います。

アクをすくった後の鍋の出汁のような感じです。

 

「アビス(深淵)」を渡る

直近のセフィラ(球)は

「ゲブラ(峻厳)」

「ケセッド(慈悲)」で

「アビス(深淵)」を渡るつもりがないならば

 

それらのセフィラ(球)まで

エネルギーを上昇させずに

「ティファレット(美・調和)」

までで終える方がよいそうです。

(恐らく、地上において、かえって生きづらくなるからだと思われます)

 

自分のエネルギーが

鉛のように重くて

混沌の状態にあり

クリアではないときは

「そんなものだ」と思うものです。

 

それが当たり前だからです。

私もそうでした。

 

しかし

エネルギーのクリア度

(潜在意識のクリア度、掃除や整理の進み具合と考えてもよいでしょう)

が増していくと

 

かつての自分が

どれだけ混乱した

まとまりのない状態で

 

必要なものと

不要なものすら分からないまま

 

自分の求めるものとは

ズレまくった人生を生きていたかが痛いほどよくわかります。

 

この瞬間は、非常に痛い。

でも、大切なプロセスですね。

 

そのようにして

私はカバラの1年の学びを終え

何かひとつ、大きなことをやり遂げた気持ちになりました。

 

そんなとき、フルフィルメント瞑想を始めました。