カルマ(因果律)とは、個人的なものではないと思います。

カルマは私たちの認識する世界において「時間という軸がある」ことを前提にしています。



本当は(とりあえず、何が本当なんだ?というのは置いておくとして)時間は存在しないので、個人的なものであろうと、そうでなかろうと、カルマはないのだろうと、私は考えます。

ただし私たちが繰り広げているドラマは、時間があるという初期設定(共通認識、共同幻想)をもっている次元で展開されているので「カルマはある」ということになります。(腐ったものを食べれば、その後、お腹が痛くなりますよね)

私たちの生きる世界を別の次元から観た場合、カルマは存在しませんが、リアルと感じる人生においてカルマのない場に生きられる人は、ごく少数ということですね。

それは“カルマのある人”、“カルマのない人”というように、ふたつに分けられるものではなく、同じ人であってもカルマのない場を生きられる瞬間(カルマ、つまり時空を超える瞬間)とそうでない瞬間がある、そんなふうに思います。

過去生という概念も時間軸を前提とした次元軸においては現生同様に存在すると言えます。

また別の見方をすると、幻想ということになります。

因果律とは個人的視点においての「悪いもの」とは限らず(よくない意味で使われることが多いようですが)たとえば縁というのも因果のひとつではないでしょうか。

それを「良縁」と見るか、「悪縁」と見るかは、その人次第です。

よく「人は同じ波動のもの(人/モノ/コト/現象)を引き寄せる」と言います。

この表現を採りますと

引き寄せるもの、引き寄せられるもの、そのどちらが先かは別にして“ある波動”があるから、“それと同じ波動”が反応する共鳴するということになり、やはり広義における因果律の範疇になります。

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