7/25~8/18、タイはチェンマイにて、フルフィルメント瞑想のタラコースに参加するため、ブログの更新をお休みします。

 

さて、「ストーリー」です。

逗子にいた当時から

愛知に戻ってしばらくは

諸事情により

メールセッションに絞っておりまして

お陰さまでご好評をいただいてきました。



しかし、課題(と言いますか、限界)も見えてきました。

どんな手法にしても

万人における万能薬になる

ということ自体、ありえないことではあるのですが・・・。

 

潜在意識のクリアリングとは

その人が内側に保有しているストーリー(信じ込みや思い込み)を扱います。

その多くは

各人の内側にしか存在しないもので

メールセッションですと

私から見えるのはその方の自己申告によるストーリーのみ。

 

その自己申告のストーリーが

その方の巻き起こしている/巻き込まれている事象とかけ離れている場合

メールという手段では

それを見抜くことが難しいときがあります。

 

極端な例を挙げます。

クライアントの認知構造が

とても歪んでいる場合

たとえば精神に

障害があるにも関わらず

病識がないといったケースがあります。

 

したがって

その方の語るストーリーが

完全なるフィクションである、といったことも起こりえます。

 

「こんな人が、こんなことを言った」

「こんな出来事があった」

当人にとっては

真実なのですが

実際には、そのようなことは起きていません。

 

そういう場合であっても

セッションを通じ

新たな広い視点を得て

クライアントのストーリーやその解釈が変わっていく面はありますが

ブロックを外す作業に

時間をかけるよりも

早く医療や福祉に

つながっていただきたい、というのが私の考えです。

 

カウンセラー

セラピストによっては

そういったタイプの方であっても

メールのやりとりのみで

改善に導くことができる

とおっしゃるかもしれませんが、私は懐疑的です。

 

少なくとも

その方と対面して

やりとりをする医療や

福祉との連携(情報交換)が必要で

それがないままに

自覚なき作り話を前提に

セッションを進めるべきではありません。

危険です。

 

お断りした通り、上記は極端な例です。

それぞれの人間が生きている世界は

その人の数だけあり

程度の違いこそあれ

その方の認識には偏りがあります。

 

この世に

絶対的な客観的真実

というものは存在しませんから

人間の認識が

偏るのは当たり前で

偏りそのものが

悪いわけではありません。

しかし

メールで扱うことのできる範囲とそうでないものがあります。

 

「私は、ついつい人の気持ちを優先して、人に合せてしまうのです」

と言っていたとしても

その方の日常を観察していると

自己中心的で

むしろ周囲の人たちに

気を遣わせている側だったりすることもあるわけです。

自己認識と

他者からの観察による

見立ての間には、かなりのギャップがありえます。

 

一度でもお会いしていれば

そういった傾向や

程度も経験的に把握できるのですが

メールセッションでは、それが難しい。

 

人間として生まれた以上

持たされた精神機構により

ついつい自分で作り上げてしまうストーリー。

 

そこから

出てしまいさえすればよいのですけれど

それが簡単な方と

そうでない方がいて

なかなか厄介なテーマです

 

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