もう12月中旬なんですね。仕事の山を越えたので、何か書いてみましょうか、という気持ちになりました。

私はスピリチュアルビジネスで生計を立てているわけではありません。その領域で一本立ちするのは、その仕事を継続するということが前提となり、いろんな意味で業が深いと思っていて、ゆえにどうしても柱の仕事にする気になれず、そのモヤモヤがひとつの悩みでした。しかし現在は「順調にスピリチュアルビジネス一本で食べていく人にならなかったこと」が実に幸いな道、ダルマの道であったと、その流れに感謝しています。

ビジネスを成立させ盤石なものとするために、自分の認知度や「この人は面白いことを言っている。何か役立つことをしてくれそう」といった注目度を上げることも大変ですが、それ以上に、ある程度以上有名になってしまうことのほうが後々自分にとって大変ですから。

スピリチュアルな世界は「これは間違いだ」「どこかおかしい」と感じたら、直ちに撤退/撤収しなくてはならない領域と思います。軌道修正を繰り返すことで、それまで自分に関心を寄せてくれていた人達のニーズからズレて行ったり、いさぎよくきっぱりと撤退や引退の決断をしたりすると、今まで成り立っていた自分の生活が突然立ち行かなくなる。それは“三次元的生き物”としての生命存続の危機です。

生活の糧を、スピリチュアルビジネスではなく、この世的な仕事から生み出すことで、むしろ人生が柔軟性に富みます。下手にスピリチュアルビジネスの看板を上げると、生きて行くために、その道を自分で肯定するために、その仕事や看板にしがみつかねばならなくなります。

お金が入ることや、他者から注目されることの喜びに流され、自分自身が「真の軸からズレてきているのでは?」とどこかで感じながらも、人々にもてはやされるようなキャッチ―なメッセージや新奇な情報を発信し続けることは、自らの上にカルマを積み、生きている間は「先生」や「カリスマ」として人気者で、お金がじゃんじゃん入ったとしても、死んでから間違いなく後悔することになります(一方で「自分のズレ」に対する感受性が鈍いティーチャーやセラピストもいる。「多くの人に支持されることや人気が出ること」を「自分が正しい道にあるがゆえ」とみなす人もいる。信者のような人達が多いと本物に見られやすいし、自分をそのように誤解しがちなのも事実)。

だからスピリチュアルビジネスの業界で「名が知れる」「定着する」というのは、自分自身がスピリチュアルな世界で研鑽を積み、不要なものを脱ぎ捨てていくうえで、非常にリスキーなことなのです。

それなりに注目されるようになると、いろんなお客さんがやってきます。向こうなりに描いた、こちらに対する人物像があり、その想定された人物像がクライアントである自分に、望む何かを提供してくれるという思い込みや期待があります。それはどんな人にもあることで人間として自然なことですが、提供側からすると「私のところに来る人ではないでしょう」「なぜ、ここに来ようと思ったのかしら」みたいな人のほうが増えていきます。私の場合、スピリチュアルビジネスのメインストリームに関心がないのに対し、お客さんとなる多数派はメインストリームに魅力を感じているものだからだと思います(元を辿れは、多数派にとって受け入れやすい切り口が業界のメインストリームになるという面もあるわけです)。

こちらが想定している、サービスを受けることで効果をもたらすことのできる人達とは違うタイプの人の来訪が増え、何がしかの期待をもって来ている彼らに対し、そのお花畑っぷり等を否定するわけにはいかないので、私の場合は結構困ります(もっと早い段階で「違う」ことが判明すれば、ほかへ行くことをお勧めするのですが)。

この業界は、人目につかないところでボチボチやっているくらいがちょうどよいです。

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