私はかつて

リーディング・チャネリング・占い・鑑定の類が大好きでした。

 

今から思うと

一時的に浸ることのできる

ファンタジーの世界が好きだったのだと思います。



「あなたは過去生で高僧でした」

「霊性が高い」

等と言われれば

特別意識や承認欲求が満たされ

 

「過去生における、こんな事件が、今生での、あなたの見えない恐怖を作っています」

等と言われれば

「そうだったのか」

「だったら、こんな具合になっても仕方ないよな」

といった自己弁護や理由づけとして活用し

そのファンタジックに拡大していく世界が

エゴやマインドにとって

嬉しかったり、楽しかったり、救いとなったりしていたんでしょうね。

 

知らない間に

リーディング・チャネリング・占い・鑑定に、関心のない人間になっていました。

 

チャネリングと言ったって

チャネラーの器を超えたものは降りてこないし

占いのなかで

直感・直観(「私ならではのリーディング」と表現されることが多い)と称して

その人自身の思い込み(ブロック・カルマの顕れ)を伝達する方もいらっしゃいます。

 

そして

メッセージやリーディングをもらっても

エゴ(小さな自己)やマインド

肉体にくっついた感情が

解釈する材料をもらって安心したり

存在を肯定された気分になって

嬉しくなったりしているだけのことが多い気がします。

 

だから、そういった情報と関わるのは

楽しみを得る機会にはなりますが

もはやそこから何かを得ようと

真剣に接する対象ではなくなっています。

 

チャネラーも、リーディングをする人も、占い師も、鑑定家もやっぱり人間。

「あなたはこんなにすごい」でも

「あなたはこんなに気の毒」でもいいんですが

そう言われて

喜んだり

悲しんだりしているのは

あなたや私のなかの、どんな部分でしょうか?

 

大いなる自分

(「分離のない自分」と、とらえていただいても結構です)

にしてみたら

そんなこと、どうでもいいんです。

 

二極のジャッジに反応しているのは、小さな自分、エゴやマインドのほうです。

 

そういったことに

関心のない人間になった

もうひとつの理由としては「当たらなかったから」も大きいです。

 

チャネリングについては

チャネリングメッセージと符合しそうなところを

自分でピックアップして解釈したり

勝手に合点が行くように

己を誘導していくので

「当たらずとも、遠からず、探せば思い当たることは何かしらある」

といったところに落ち着きます。

 

何となく

自分のなかで整理されていないものを

他者の口を通した言語化されたものを刺激材料として

腑に落とすわけです。

(気づきを得るということで言えば、材料は日常のなかにたくさんあるので、わざわざ大枚をはたいて、チャネリングしてもらう必要はない、というのが私のスタンス)

 

それに対し

占いというのは

申し訳ないですが

当らないことのほうが多いです(私に関して言えば)。

なんででしょうかね(笑)

 

私も一応

チャネリングはできるのですが

恐らく、今後も自発的に行なうことはないと思います。

 

その人にまつわる

要らぬストーリーを

またひとつ増やすだけですから。

 

そういったストーリーに救われる人が多いのも、また事実(私も以前はそうだった)。

しかし、そこで救われている自分とは、誰ですか?

 

オススメ関連記事: