仏教の見地から言うと、「心」という働きをもった人間という生き物は、みな「病気」です。

思考や感情を結びつけることにより

自分が「ある」と思い込んで作り出したストーリー(フィルター)を、あたかもメガネのようにかけています。

 

そのメガネを通して世の中を見て、判断して、その人だけの世界を生きています。

それが人間。みな同じ。

 

ただし、各自の抱えている「病気」の程度には、違いがあります。

「すごく病気」の人と

「少しだけ病気」という人がいて、その幅はとても大きい、ということですね。

そして、このストーリー(フィルター)を外していきましょう、というのがブロック外し。

 

マインドフルな瞑想を提案している、とあるグループは

ある時点までは、その瞑想法が “鬱状態” の人に効果的であるとしていました。

 

しかし、その後

問題が出てきたようで

現在は

「週に5日、きちんとした社会人として、社会生活を送ることができる人(実際には働いていなくてもいいが、その能力のある人)」

と、対象の条件を改めました。

 

聞いたまんまの表現で言うと

「自我の弱い人は瞑想をしてはいけない」

というのが、臨床家(精神科医、臨床心理士など)による現時点での見解であるとか。

 

ここでの「自我の弱い」とは

「エゴがない」ということではなく

「認知構造が未成熟」という意味のようです。

 

私のところにも

どういうわけか

医療機関や自助グループなど

リアルな治療・相談・援助を行なう場を利用するほうがよいのでは

と思われる方からの、問い合わせや受講申し込みが増えてきました。

 

深刻度が高く

緊急性があり

医療に近接的なサービスが必要な状況の方は

専門家との面接による、適切な見立てを得てください。

 

本来ならば

関わっている医師や

ソーシャルワーカー

カウンセラーなどの間で

連携できる体制にあることが、サポートを統合していくうえで望ましいのです。

 

それぞれの立場から

専門家相互が情報交換をしながら、治療・回復を援助していく

それが適切な状況にある方には、メールでのブロック外しのセッションは向いておりません。

 

ブロック外しのメールセッションについては

“鬱的傾向の強い”場合

“認知構造が未成熟な”場合

受講期間において、効果を上げることが難しいと感じます。

 

「留まる」ことを

潜在意識と認知のクセにより選択しているのですが

そこを変える「決意」「覚悟」「エネルギー」に欠けているように思います。

 

自身の作り出したストーリーへの“のめり込み度”が高いので、「俯瞰」「気づき」も生まれにくい。

 

「決意」「覚悟」は、「すがること」「依存すること」とは違います。

 

そして、「決意」と「覚悟」には、「エネルギー」が必要です。

 

この部分には個人差があり、私の場合は「決意」と「覚悟」をもつことで、逆に「エネルギー」が湧いてきます。

 

そういうタイプの人間からすると

「決意」と「覚悟」がないから

「エネルギー」が湧いてこないのだ、となります。

 

そうは言っても

極限まで力を失っているときには、人間、動きが止まります。

「決意」「覚悟」どころではありません。

 

身近に信頼できる人間関係を作るとか(それが難しいのだろうとは思いますけれど)

同じような悩みを抱える人たちのサークルに参加するとか

まずは「ゆっくりと心身を休めて、最低限の安心感を得る」時間が必要です。

元気がないのに、何かを変えようとすると、葛藤と挫折感の繰り返しです。

 

「どうにかしなくては、という思いに駆られていろいろする(今ここ)」

→「外側に合わせるためにしてきたことを一切止めてみる(次のステップ)」

→「自発的にしたいと感じることだけをする(さらに次のステップ)」

というように、段階を踏んでいくとよいと思います。

 

仕事が忙しいのであれば仕事量を減らす、

思い切って休職する、

親や妻や夫や同僚の顔色をうかがうことを止める、

行きたいところに旅行する、

趣味を楽しむ、

食べたいものを食べるなど、

したくないけれどしてきたことを止めて

自分の望むところを行なって(それが難しいのだろうとは思いますけれど)

最低限のエネルギーを蓄積してから、次の一歩を踏み出すほうが、長い目で見るとブロックを外すのに効果を上げます。

 

私個人の見解としては

ブロック外しとは

人生に山積した問題を解決するにあたり、最初にすることではありません。

 

いろんな旅路を経て

それなりに片付いてきている人が

後半の仕上げに使うことにより「認識の枠組みをさらに変えられる」ツールです。

 

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