「天然な人」という表現がある。私の辞書において「天然な人」の欄を参照すると「ズレた人」



私を含め、すべての人が、自分の視点から自分の宇宙を生きているため「みんなが(互いに)ズレた人」「みんなが(互いに)天然な人」である。

そういうなかで微笑ましさや、新鮮さを伴って自分にはない視点を、日常のなんてことのない場面で提供してくれるタイプの人を、世の中的には「天然(とか癒し系とか)」というのであろう。

人間それぞれのベースにあるのは自分独自の世界観、あるいは世界認識のパターンなので、自我意識(エゴマインド)の強くない状態で「天然の(その人のなかにある素の)世界」を表現しているうちは微笑ましく「かわいい~」「不思議ちゃん」「そういうものの見方、考え方もあるのね。勉強になった」等と言われる。(子どもが何気なく、率直に口にすることに、大人はハッとする、それに近い)

ある時点で何か勘違いをして、自分の視点や見解に必要以上の自信とこだわりをもつようになり、それをもとに、ほかの宇宙を生きている他者に対し、何かを教え導こうとするようになったりすると「何だか、とってもアタマの悪い人」に見えるようになっていく。

「アタマの悪い人」であってはいけない、ということではないけれど「(より)天然」とは自我意識が希薄な状態であるので、ある意味での柔軟性と中立性を保持しているため救いがあるが、強固な自我意識で、自分のメガネを通して見える世界こそが妥当である(自己正当化)という段階に進むと、そこからの回復はなかなかに難しい。

キャラづくりも含め、芸能界などで「天然」とされている(されていた)人などを見ても、他者をジャッジし始めたら、他者の別宇宙を尊重できなくなったら「天然」ではなく「アタマの悪い人」または「エキセントリックな人(奇人変人)」へと、そのポジションが変わる。、癒し系でもなんでもないが例えば、泰葉とか松居一代とかも、そんな感じ。

人間誰しも人生を「天然」からスタートするが、その行先はそれぞれ異なる。

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