仕事のひとつ目の山を越え、少しほっとしている。(年内に、あと3つくらい山がある)


さて、アクセスコンシャスネスの世界では、いろんなクラスで「無防備であることを厭わないように」なんて表現が講師の口から飛び出す。

以下は私見であり、ほかの解釈もあるのかもしれない。

「無防備であること」とは「本音で生きること」に、そっくり置き換えることのできないものである。

前提となる基本的なモノの見方は

「無防備である」 → 一元(ワンネス)の世界

「本音で生きる」 → 二元(三次元・分離)の世界

である。

「無防備である」世界に「本音で生きる」も「生きない」もない。

すべてを許容し、あらゆる可能性が、あり得ることを認めている。

それに対し「本音で生きる」とは “ある価値観や意見がまずあり、それに基づく選択を行なう” ことである。

「無防備である」としても、何かを選択して生きていくのが、三次元に生きる人間の姿ではあるが

一元の世界(「無防備に生きる」)

→ その瞬間において最適なフィット感を選択していく。自分をジャッジしない、他者からのジャッジは “空気” 扱い

二元の世界(「本音で生きる」)

→ 価値観や意見が先にあって、それに従う。他者からのジャッジ回避のため、程度を問わず防御(理論武装等)の手立てを伴うこともある

という点で異なっている。

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