何となく、思い浮かんだことを、ただ書くだけの、つぶやきコーナー

「プチ(意識の)たま(ねぎ)ブロ(グ)」。

 

このブログの記事を

最初からザーッと読んでみて

気づいたことがある。

 

以前、私は「『ランク社会』とSNS」という記事のなかで

実体験から常々感じているのは

私もFacebookに

こういったブログ更新の情報を流していますが

「いいね」の数と

仕事の依頼の数との間に

これといった関係はない、ということです。

と書いた。

 

・「いいね」の多い/少ない

・仕事の依頼の多い/少ない

両者の間に関係が見られない理由らしきものが

ブログ記事を読んでいると分かってきた。

(他人事みたいだけれど、その文章を書いたのは、私自身)

 

その理由らしきものとは…

私は自分の思うことや考察を

日々「描写」し続けているものの

それを元に

読者を「啓蒙」しようとしていない、ということである。

 

「啓蒙」とは…人々に新しい知識を与え、教え導くこと(大辞林より)

 

よそのブログを読むと

「私が教え導きます」とまでは言わないまでも

それに類する表現を使っているのを散見する。

 

私見では

人が生きることに関し

本質的な意味で

「私が」「教え導きます」と言っていいのは

日本においては

せいぜい3人くらいであり

(先回りして言っておくと、ジャッジではなく、識別である)

私はその3人の中に入らないことを自覚しているため

文章を書いても

そこに啓蒙的な意識(エネルギー)が乗らないのである。

 

教え導かれたい人は

教え導きたいエネルギー満々のブログを読んで反応し

その流れで申込みをすることが多いであろうから

そのタイプのブログを書く人の場合、

「いいね」や閲覧数と仕事の受注量が

タイムラグがあっても

大きく見れば比例するのかもしれない。

 

私も、このブログを始めた頃は

● アクセス数のアップのためのブログタイトルや自分の肩書の作り方

● 読み手に信頼感を与える文章の書き方(短文がいいとか、メリットを明確に謳うとか)

などについても

主にネットサーフィンで(笑)

多少は学び、考慮した。

 

例えばテーマが

不登校ならば、「3日で」「学校に行くようになる」

稼ぎが気になるのであれば、「半年の副業で」「月収7桁への道」

夫婦関係ならば、「妻が7つのポイントを押さえるだけで」「モラハラ夫が愛妻家に」

具体的に何がどう変わっていくのかを示し

読者の得られるメリットを訴求する、という

あのタイプのものである。

 

現在は

そういった『アピールありき』の生き方/ビジネスをチョイスしていないので

書きたいことを

短文だろうと、長文になろうと

ほとんど気にせず書いている。

 

昔は

読者層や提供できるメリットを

今よりも具体的に想定して文章を書いていた、

ということを、当時の記事を読んで思い出した。

 

それゆえか

かつての文章は、言葉の生み出す層が薄いものとなっている。

 

すなわち

Aという球を投げれば

相手がどんな人かを問わず

そのままAという球を受け取る。

 

昨年あたりから

あえて意識せずに書いていても

読む人の段階がどこかによって

受け取ることのできるモノが異なる文章になってきている(重層的になった)。

 

Aという球を投げてはいるものの

ある人はA

またある人はB

さらに別の人はC

という具合に、受け取るモノが違ってくる。

 

読む人によって

受け取るモノがバラバラなのだから

文章の評価もバラバラなものになるし

それはそれで自然なことである。

 

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