数日間、東京に出張。帰りに、懐かしの葉山で髪を切った。

そんな感じで出かけるときしか、公共交通機関には乗らない私。

最近、こんな場面に出くわした。

・幼稚園児を連れたお母さんたちが、電車で遠足の集合場所に向かっている。話の感じでは、電車で3~40分かかるところに行こうとしている

・静かな子どももいるが、ぐずる子どももいて、大きな奇声を発する、動き回ってほかの乗客にぶつかる、床にしゃがみこんだり、倒れ込んだりして、要は迷惑な状態

・お母さんは「そういうふうなら帰る」「電車から降りる」と子どもに圧力をかける。子どもは一時的に大人しくなるが、数分以内にまたぐずりだす。母親にしがみついたり、床にしゃがみこんだりし始める

 

そういうことに限って言えば、私自身が厳しく躾けられてきたので、かつては騒いで動き回る子とその母にメンチ切るくらいにまで腹を立てたものだ。

ベースにあるのは「親は、なんで子どもの行動面をコントロールできないんだ!」「子どもは、なんでその程度のことで、いちいちぐずるんだ!親の言うことを聞けないんだ!」という気持ち。自分が厳しく律せられ罰せられてきたので、羽目を外していても同じような目に遭わない子どもを見ると忌々しい、というのもあったと思う。

先日のその場面で気づいたのは、腹が立たない私がそこにいる、ということ。

 

行為自体は迷惑なので、お母さんには、もっと効果が出るような対処を望むけれど、以前は「どんな子どもも」「こういう場面で静かにさせることができるはず」と思っていたように感じる。だから、彼らが「できるはずのことができていない人達」や「しようとしないダメな人達」に見えて腹が立って仕方がなかった。

しかしこのときは、「この子は理解力が若干未熟なのだな」と思った(馬鹿だという意味ではない)。軍隊みたいに「迷惑だから静かにしろ!」⇒「はい!」とならないのは仕方がないんだね。その子の理解力に合わせて、親が粘り強く躾けるほかない。

私だったら、集合場所まで、ほかの親御さんと一緒に行くことはしない(ほかの親子といることで、周囲にいい顔をしようとしたり、ムードに負けたりして、自分自身が易きに流れる)。そしてこの遠足に行く前に、何度か子どもと一緒に電車に乗って、周囲に迷惑をかけることがあれば「本当に降りて帰る」ということをしておくだろう。

見た感じでは、ほかの親子も一緒、リュックを背負って電車でお出かけ、ということに対し、子どもはとてもテンションが上がっている。そして不安が強い。「自分、テンション上がってるわ」とか「なんか不安、怖い」とか、フィードバックしての自覚はないだろうから、外側や行動面にその揺らぎが出てくる。

普段から似たような反応・行動の傾向はあるのだろうけれど、いつもと違う環境、状況が、それに拍車をかける。

外で目立って騒ぐ、動き回る子どもには(全部とは言わないが)「家庭のなかにストレスがある」という仮説を私はもっている。

「家庭のなかのストレス」の原因のひとつは、子ども自身の「理解力不足」によるもの。親が悪いわけではない。

次に、親が子どもの理解力や理解のパターン(特徴)に適ったコミュニケーションを取っていないということ。これは親にも責任がある。

三つ目。子どもとしては、環境が変わることで、自分のテンションや不安をどう扱ってよいかわからない面もあるけれど、外でなら自分を表現できる、ということもあると思う。多分、家の中と外とで、子どもに対して、親の見せている顔が違う。家では厳しいが、外に出ると甘いという場合もあるだろうし、その反対もあるだろうし、いろんなパターンがあり得る。「お母さんやお父さんは、家の内と外で違う」という論理的な理解のできる年齢ではないだろうから、皮膚感覚で子どもを混乱させるような矛盾が、家庭や家族の人間関係のなかにある。親達は、年を取るに従い、自分のなかの矛盾や破綻に、気づきにくくなっていくので、自分達の側にある問題も見づらいものとなる。

話はちょっと変わるが、公共の場での子どもの振る舞いということで言うと、欧米の子どもは日本の子どもに比べて静かでマナーができていることが多い(私の体験上)。

公共のマナーを躾けるに当たり、どこが違っているのだろうか。欧米の文化には、古くから「個の確立」のプロセスがあり、「個」と「社会」は別物でありながら共存するという感覚がある。したがって「社会」に対し、「個」として、しかるべき振る舞い方があるという前提が存在する。それに対し、日本では「個」を確立させていない人達が「集合的」に寄りかかって、依存しながら暮らしているからではないかと、昔は思っていた。もちろん、そういう面もあるだろうけれど、「子どもの目から見て、大人達に表と裏、建前と本音の矛盾が多い」からでないかと、今は考えている。いろんなことの区別がついていなくて、矛盾の多い人は「何を言っているのかよく分からない」し、子どもの側も「その人の言っていることを理解するよう努力しよう」という気持ちになりにくい。

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