何となく、思い浮かんだことを、ただ書くだけの、つぶやきコーナー

「プチ(意識の)たま(ねぎ)ブロ(グ)」。

 

今までに

いろいろな仕事をしてきたけれど

どれも「コトバが要となる」仕事だった。

 

…ということで

私を「コトバに長けた人」と勘違いする人が時々いる。

 

むしろ「コトバが苦手な人」であると思う。

 

初めて会話をするとき

相手に対し

「???」という感じを覚えることがある。

 

それも私の色眼鏡かな、と思うので

真っ白な心に戻って

その人とお付き合いすることにしている。

 

あえてコトバに変換すると

「違和感」

「ズレた感じ」

になるかもしれないが

その正体をコトバに変換するのが

昔から苦手だ。

 

「違和感」「ズレた感じ」

のあった方のなかでも

“あるタイプ” との関係は

互いにとって “よきもの” を生み出すことができず

「あのときの感覚は間違っていなかった」

という感慨をもって終わることが多い(ということに最近気づいた)。

 

コトバの使い方に

無意識/意識的

些細なこと/大きなことを問わず

自我の強さと

他者コントロールのテイストが混じっているタイプだ。

 

ひょっとしたら

不安や劣等感の強い人達であり

コトバを使った

彼ら/彼女らなりの

示威行為、マウンティングなのかもしれない。

 

一方で

「違和感」「ズレた感じ」

があっても

良好な関係を築くことができる人達もいる。

 

「違和感」「ズレた感じ」

のポイントが

「やっぱり…」

をもって関係が終わる人達とは異なっている。

 

私はカウンセリングセッションの仕事をしている。

 

いただく感想で多く見られるのは

・クライアントを自分の色や価値観で染めようとしない

・コトバで駆け引きしない/コントロールしない

というものだ。

 

もっていきたい方向(価値観)ありきで

教え説いたり、褒めたり、叱ったり

「あなたはこういう人ですね」

「こういう人へと変わることが必要です」

という決めつけをしたりしない

 

子供の頃、母親からよく

「しっかりした子だね」

「しっかりしなさい」

と言われた。

 

私が年齢の割に

「しっかりした子」であることが

母親にとっては嬉しかったようだ。

 

母親が喜ぶので

「しっかりした子」

であることが強化された。

 

褒めても、けなしても

ニュートラルであっても

何気ないコトバ

(「あなたは〇〇な人」)が

その人を外側から規定していく。

 

些細な一言で

言われた側が

自分を勘違いすることにもなるし

他者の感じ方を優先して生きることにもつながる。

 

「コントロールされる側にも問題がある」

と言ってしまえばそれまでであるし

コトバがないと困ることもたくさんあるが

 

使い方を間違えると

無益を通り越して

害を生む。

 

コトバを活かすように生きることは

エゴが強いと難しい。

 

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