何となく、思い浮かんだことを、ただ書くだけの、つぶやきコーナー「プチ(意識の)たま(ねぎ)ブロ(グ)」。



このたび「アメーバ」を退会。結論から言うと退会して良かった。

昔、自分が更新していたアメブロの削除が目的だったが「この際だから」と「アメーバ」ごと止めた。

余談であるが、3月から予定されているらしいアメブロの仕様変更と私が自分のアメブロを削除しようと決めたことの間に、関連はまったくない。

退会したら当初予想していなかった、いろんなことに気づいた。

「アメーバ」会員だった頃は自分が読者登録をしていたアメブロがいくつかあった。

退会してみると、何というブログを読んでいたか、すら思い出すことができず、したがって検索のしようもない。思い出せないくらいだから、さして重要なものではなかったのだろう。

しかしながら「アメーバ」会員だった頃は、一日に何回もチェックし、読者登録していたブログのうち更新されたものを読む、その行為が習慣化していた。(更新されていれは、すべて読む、というわけでもないけれど)

今にして思えば、日々のなかで結構な時間とエネルギーを、その行為に対し無意識のうちに、割いていた。

現在はブログチェックがなくなったことで、予想以上に浮いた時間を別のことに使うことができていて、私はその過ごし方に深さ、豊かさを感じている。

アメブロでは、いろんな人達がいろんなことを書いている。

日々比較的固定化されたメンツの主張を読み続けることに関し、私の気づいたデメリットとは何か。

その人達が書いている、その人達なりの描写や価値観、傾向や偏りをもつ世界が、すなわちリアルな世の中そのものである、と錯覚するようになることだ。

読まなくなると「他人のブログに書かれていたことを、重要視し過ぎていたな」「みんな、それぞれ偏りがあるんだな」「そういった、外部から取り込んだ、他者の視点や世界観の混ぜ合わせによって、自分の視点や認識を作ってきたんだな」と、日々の生活を通じ、感じ入る機会が、やたらに増える。(そして、ネット上の仮想世界/仮想社会の怖さを知る・笑)

具体的な例をスピリチュアルな分野を題材に、表現してみよう。

Aさん「人類は日々アセンションしています。もう努力、忍耐、苦しみを通して生きる時代は終わりました」

Bさん「ふわふわスピリチュアルを、やっていたらアカンで。覚醒とは、そんなに簡単な道ではおまへんで」

Cさん「あるがままに生きましょう。素晴らしい人になる必要はありません。努力は意味がありません」

Dさん「ジャッジは止めましょう。比較に意味はありません。あなたは100%素晴らしい存在です」

Eさん「自分の闇に向き合いましょう。醜さを受け入れましょう」

Fさん「現実を創造しているのは自分自身です。すべてに対して責任があります」

おおよそ上記のような主義主張をもったA~Fさんのブログを日々読んでいるとする。

これらを毎日読み続けていると、例えば

「努力や根性で人生を切り開く時代は終わった。そのままの私でも、ダメな私でも、それらを受け入れ、あるがままであることで、日々自分も、自動的に次元上昇していく」

「ひょっとしたら、そういうのは、易きに流れる “ふわスピ“ なのかもしれないけれど、私は、そもそもが素晴らしい存在なのだから、そのままで十分なまでに素晴らしい現実が創造されていくはず。私は、坊さんや、牧師さんとは違う」

という

● セコハンの具を

● 鍋で、ごった煮にしたような

フィルター/視点でリアルな世の中を眺めるようになり、新たな体験や発見を生み出すことの障害となる『色メガネ(マインドセット)』によって自分の目を塞ぐ状態がどんどん進行しているにも関わらず、そんな自分を疑わなくなっていく。

『Aさん要素20%、Bさん要素10%、Cさん要素20%、Dさん要素20%、Eさん要素15%、Fさん要素15%』のウエイト付けからなる仮想の現実/社会が読み手のなかに作り出され、目に映るリアルな世界に投影される。(A~Fさんは、ブログを通じ、それぞれのマインドセットを表現し、それらから、読者のマインドセットが作り出されていく)

自らの人生が、他者の言っていることの寄せ集め&焼き直しとなる御膳立てを、日々自ら行なっていることになる。(他者の言っていることも、大抵は、また別の人達の寄せ集め&焼き直し)

私は、本質の部分においてジャッジをいけないことと思っていないし「ジャッジはいけない」「ジャッジを止めよう」と書いている人達も実は、たくさんのジャッジをしている(これについては、後日書くことにする)

・・・のであえて書くが、ネット上に氾濫する情報においては

● 取るに足らない意見やモノの見方

● 優れた洞察や直観から来る描写

それらの区別をつけにくい。

「糞を味噌に」「味噌を糞に」見誤らせるような仕組みづくり、仕掛けもネット社会では容易である。(味噌が味噌であり、糞が糞であることを、識別できるかどうかは、最終的に、受け手の能力によって決まる。何が味噌で、何が糞かは、人によって、ケースによって、異なることがあり得る)

「アメーバ」のもつ仕組み(「読者登録機能」)により、偏りのある他者の世界観を、日々自分の内面に刷り込んできたという事実に「アメーバ」退会を契機として気づかせてもらった次第である。

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