連日の雨が上がったら、犬の散歩コースには土筆がいっぱい。

気が向くと採ってきます。旬のものは食べるのが楽しい。

さて昨日、こんな本(「セラピー文化の社会学~ネットワークビジネス・自己啓発・トラウマ」小池靖著)を読みました。

数年に亘るフィールドワークをベースにしていて、なかなか興味深い。

東京大学大学院の博士論文の書籍化なので仕方ないのですが、「もうちょっと平たく書いてくれ~」と思うところもあり、この書籍を刺激材料として、私が感じたことをメインとして、数回に分けて書きます。私の書くことと、著者の指摘していることや見解が必ずしも一致するわけではない、ということをお断りしておきます。

「すべては自己責任」という原則をベースにもつ “ネットワークビジネス” & “自己啓発セミナー”

この部分は書籍のコピーです。このようなポジショニングを前提とした論旨となっています。

ネットワークビジネス(ネガティブな表現ではマルチ商法)と、自己啓発セミナーは、自分のビジネスや人生に対して、強い自己責任を求めるという特徴をもっています。

「何でも前向きにものごとを考えればそれは実現し、人生はうまくいくという考え方」(P.35)。そのような積極思考を説く自己啓発分野は「ポップ心理学」に分類され、学術領域である「アカデミック心理学」と対立概念を成します。

引き寄せの法則なども支流に含まれますが、「強く願うことは実現し、そのことによって物質的成功をも収めようとする考え方」(P.38)の背景にあるのが、19世紀アメリカの宗教における流れ、ニューソート。

ニューソートから派生した「精神性と実用性が融合した、いかにもアメリカ的な精神」(P.39)では、神を宇宙に偏在するエネルギーのように捉えます。また人間の思考は現実に影響を与え、肉体の病をも乗り越えさせ、魂には意識、無意識、潜在意識の3つがあり、その実践は科学と矛盾しないと考えました。

ニューソート系宗教の説教師をしていたのが、「マーフィーの法則」で知られるジョセフ・マーフィーです。

① 上記のような、アメリカの宗教におけるニューソートの思想的流れがあり

② ネットワークビジネスは、①をディストリビューター教育のなかで活用

③ ①~②の手法を取り込んだのが自己啓発セミナー

というふうに関係し合っています。

論文を書くことに頓挫し、辞めてしまったけれど、一時期、私は大学院に在籍し、そこでクリスチャンサイエンスの事例に触れたことがあります。例えばクリスチャンサイエンスにおいては「病気があることを認めるから、病気が生まれる。したがって、病気がそこにないものとして生活する」とのことで、「問題だと思わなければ、問題ではない」的な在り方が特徴。ものごとに対する認知や解釈を変えることで、自ずと問題が解消する、あるいはそもそも問題が生じない、というスタンスです(それが叶わなければ、まだまだ信心が足りないということになる)。

「自己責任」の教化は誰にとってのメリットなのか

「官僚的な一般の会社組織と比べて、ネットワークビジネスのディストリビューターたちは、労働組合も結成しない、医療保険、労災保険もいらない、そして職務への忠誠心は非常に高いという経営側にとって理想の労働力なのである。しかし、アメリカでの試算によると、ネットワークビジネスで収益を上げられるのは全体の1%に満たないため、現実には多くのディストリビューターは無償の労働をしているのである」(P.63)

先の4象限のポジショニングにもあるように、ネットワークビジネスが強調するのは “ビジネスに対する自己責任” であり、言い換えれば “被害者” が存在する余地がないため、権利を保障するような、被害者や弱者であることを具現化するような労働組合、医療保険、労災保険の類は不要なのでしょう。それらは、消極思考の先にあるものだからです。

「過去の研究では必ずしも明らかにされていないが、ネットワークビジネスが宗教のように見える最大の理由は、参加者全員が成功するという、現実にはありえないことをグループ全体で信奉しているからである。そこにニューソートに由来する、頭でイメージしたことが現実化すると思わせる思考が大きく活用される余地がある。逆に言えば、たとえば、毎月一定の金額が振り込まれることが既に決まっている普通の仕事ならば『強く心に思い描いた事は実現する』などという信念をわざわざ教化し続ける必要はないのである」(P.71)

「また、前向きな態度のみが成功をもたらし、誰にでもネットワークビジネスはできるというイデオロギーは、ネットワークビジネスの内部に現実には存在している不平等を隠ぺいする効果もある。言わばネットワークビジネスは究極の自力信仰でもあり、勝つも負けるも自己の責任なのである」(P.58)

この強い自力信仰は、自己啓発セミナーにも引き継がれていきます。例えばこのように。

「『[もしセールスマンなら]きょう私の担当地区はどこも不在でした』とは絶対に言ってはいけない。それは『きょう私がしたことは、誰も家に居させることができなかったということです』でなければならない…自分がすべてを創造するという考え方は、法のようなものだ…つまり、もし誰も家にいなかったら、それはあなたが家にいなかったということなのだ」(P.98~99)

本書にも指摘がありましたけれど、自己啓発書やカウンセリング講座などにより、抑圧から自由になっていくはずの個人が、学んだことで逆に画一的に管理されるようになっていく、個人の内面や個別の事情がマニュアル的に扱われるようになっていく、誰かにとって都合のよい正しさの理屈を押し付けられることに疑問をもたなくなっていく、という面もあるように感じます。

なお、4象限のひとつを成しているものの、この記事では触れなかったトラウマ・サバイバー運動とは、アダルトチルドレンやPTSDなどについて「自己責任を免除される」という前提からスタートするものであり、「あなたがイジメに遭ったのは、それをあなた自身が思い描き、それを望んだからだ」等という自己責任論とは対照的なものです。

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