クリシュナムルティによれば、人間の「徳」とは “あるがままの真価” であり、「徳を積もう」という心がけほど「徳」からかけ離れているものはないようです。




「徳を積もう」という意思は“あるがまま” から目を逸らすものであり、“あるがまま” の自分を否定することでもあります。

「徳を積もう」とするのは、今の自分のままではダメだ、自分には何かが不足していると思っているからであり、自分を愛する、自分を受け入れる、自分を大切にするということからは、遠いのです。

クリシュナムルティは「“あるがままの真価”、そういう“徳”こそが美しい」と述べています。

“あるがままの真価” という表現から、疑うことを知らない赤ちゃんや乳幼児を思い浮かべます。彼ら、彼女らは、そこに存在しているだけで輝いています。放っているエネルギーの質が違うのです。

赤ちゃんや乳幼児は、「徳を積もう」なんて考えません。“自分そのまま” な彼らは、周囲の人たちに微笑みと柔らかな心をもたらします。

特に、大人は、子供のそのような姿を見て心癒されます。とらわれない心を忘れた大人たちにとって、子供のもつ “あるがままの真価” は、ほかの何かで代替できない、素晴らしいものなのです。

赤ちゃんや乳幼児が、他の赤ちゃん・乳幼児を見て心癒されるということはありません。小さな子供たちは「徳」のなかにいるので、他者に「徳」を求めないのです。(自分と他者の境界があいまいということもありますが)

大人であっても、真に「徳」のある人は外側の世界に「徳」を求めないように思いますが、いかがでしょうか。

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