あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。



さて、思えば私も変わりました。

数年前まで不登校や引きこもり、ニートと呼ばれる人達のサポート活動に関わっていました。

その根底には、そういった方達が社会や学校と呼ばれるところに参加・復帰していくことができる、そんな展開がベストである、という思い込みがありました。

ひとつには不登校や引きこもり、ニートと呼ばれている人達があまり幸せそうでないように私の目に映っていた、そんなこともありました。

今はどう思っているか。

家にいたいのであれば、社会と関わりたくないのであれば、それを許容できる状況が家庭にあるのであれば、そのままでいいんじゃないでしょうか。

多くの親は子供に無償の愛を注ぎますので「自分たちが、この世を去った後、この子が困らないような状況にしておきたい」、そんなふうに考えます。

自分が助けないと/しっかりしていないと、この子は生きていくことができない。そんなふうに思っていたりします。

そして、自分たちの年金を子供の名義で貯金しておく等、子供が生きながらえるよう困らぬよう、いろいろと手筈を整えます。

お気持ちは分かりますが、親は、一個人としての人生を楽しんでいけばよい。

我々にできるのは、彼らが何かアクションを起こしたいという意向を示したとき、それを受け入れ、対応することだけです。

強いて言うならば、それができうる最善です。意思表示できる自由と関係性、それを受け止めてサポートする受容的態度、必要なのはそのふたつ。

私が近年の自分を振り返るとき、他者が負うべき責任を自分が受け入れて丸く収めていこう、そんなふうに思ったとき、事態は見事に破綻しています。それぞれの認識はともかく、とりあえず関わったすべての人が犠牲者となります。他者の負うべき責任を、自分が負ってはダメなのです。

いつか気づいてくれる。いいえ、他者の責任を引き受けている限り、その人(他者)はいつまで経っても自分の責任を引き受けません。そんなことを、改めて思う年始であります。

見事に破綻した過去の出来事とは、不登校・引きこもりと言われる方たち関連ではありません。Aに関する態度のパターンとBに関する態度のそれ、両者の間には被るところがあるよなあ、そんなふうに思ったのでした。

 

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