さて、昨日の記事になんとなくつなげてみます。



結局のところ、「信じる」というのは「不信」とワンセットです。「信じる」ということには「不信」がもれなく付いてくる。

一方、「信じない」ということは「信じる」⇔「不信」軸におけるジャッジ不要の状態です(ジャッジから自由、離れている)

で、「自分を信じる」とか「自分の感覚を信じる」とかって、どういう主体が、どういう客体を信じるの?って話です。

「自分」が「自分」を信じるのだとすれば、その人にとっては「自分」とは別の「自分」があるということですね。つまり「分離」です。

一例として「自分」が「自分」を信じる、を挙げましたが「分離」を埋めようとするベクトルが「信じる」なわけです。つまり前提にあるのは「分離」です。

「分離」を前提とした「統合」はあるようで、ないです。どこまで行っても、ないです。

この世は自作自演、人生は自作自演。まずは、その部分だけでも分かっていれば、いいんじゃないんでしょうか。

ほかの人の自作自演のストーリーの共演者になるかどうかも、その人の選択です。

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