「心の空虚さを選り好みせず、非難したり正当化もしないで自覚したとき、そのあるがままのものの理解の中に、真の行為があるのです。そしてこの真の行為が創造なのです」(「自我の終焉―絶対自由への道 」P.87)

このところ、クリシュナムルティの世界に回帰しています。

思うに“あるがままの自分”であるとき、自分の周囲に創造的時空が生まれ、そこに自動的な(=作為のない)創造が起こるのです。

そういう現象のひとつが「引き寄せ」ではないでしょうか(「引き寄せた」というのも、ひとつの解釈に過ぎませんが、便宜上、その言葉を使っています)。

世の中には、引き寄せの上手い人、ある特定の領域について引き寄せられる人、「引き寄せの法則」的な本を読んで実践してもなかなか引き寄せられない人、はなから引き寄せることなど眼中にない人、いろいろいます。

“あるがままのその人” であり、“あるがままに対して適切な理解ができている” と、「引き寄せよう」と意図しなくても望んだ状況に適ったモノや人などが整うのです。

したがって“本当の自分から離れた自分” であるうちは「引き寄せ体質」になりにくいといえます。

だからといって、既に “あるがまま” から遠く離れた自分にとっては“あるがままの自分” であろう(あるいは、“あるがままの自分”になろう)としたところで、簡単にはいきません。“あるがままの自分でない自分であること” に気づく、これが最初のステップです。

そして成長するにつれて身につけた「思い込み(ブロック/メンタルブロック)」というスクリーンを外していく。これがふたつめのステップ。

この「思い込み(ブロック/メンタルブロック)」がある限り、何かを “あるがままに見る” ということができません。「思い込み」は“あるがままに自分を見る” ことも邪魔するのです。

今まで主体(見る者)と客体(見られる者)くらいに分離していた “ふたつの自分” の距離が縮まっていきます。

そして両者が再びひとつに統合されたとき、人は創造という真なる行為のなかにいます。そういう状況になると、引き寄せようとしなくても、その人にふさわしい、好ましい状況がどんどん整います。

実は、「思い込み(ブロック/メンタルブロック)」があったとしても「思い込み(ブロック/メンタルブロック)」の示す通りの現実を体験しています。

自分のもっている「思い込み(ブロック/メンタルブロック)」をはっきり認識していないので「望んでいないのに、どうしてこんなことが起こるのかしら」と思うのです。

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