さらに昨日の記事から続きます。

「分離」がなければ、「信じる」ことは不要です。

 

「信じる」と「不信」はワンセット。

どちらかひとつを選ぶことはできません。

 

「信じない」ということは、「信じる」⇔「不信」という二極から自由な状態。

 

これも一例ですが

私が「神」だとしたら、「神」を信じる必要がありません。

私は「神」なのですから。

 

なので、「自分」が「自分」ならば

「自分を信じる」

「自分の感覚を信じる」必要はないわけです。

 

ごく小さな子供は、自分を信じてもいないし、不信に陥ってもいないはずです。

そういう尺度や感覚の存在する余地が、まだないからです。

ただただ、「自分」であるだけです。

 

人が何か

(自分、他者、モノ、神といったもの)

を「信じずにはいられない」

「信じようとする」

「信じられる状況にもっていこうとする」

のは、「今の自分」の内外の分離感に、不安定感や居心地の悪さがあるから。

「信じる」ことによって、それらを「回避」できます。

 

さて

「自分を信じましょう」

「自分の感覚を信じましょう」

「ピンときたものが正解です」

こういったトレーニングには効果があるのでしょうか?

 

補足すると

これらは真理でもなんでもなく

単なるトレーニング、教化です。

 

効果として

何をどの程度求めるかによって

Yes とも No とも言えます。

 

ひとつの条件付けとしての効果についてはYesと言えますが、究極には No です。

 

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