イランには素晴らしい歴史的建造物がたくさんありました。その中で私が特に気に入ったのは、イスファーハンのアルメニア系キリスト教会。

壁に言い伝えが描かれています。

イエス・キリストの教えを伝道しようと、グレゴリオさんという方がアルメニアにやってきます。アルメニアの王様は、グレゴリオさんを不審に思い、多種多様な拷問にかけます(その様子も描かれています)。何年経っても、グレゴリオさんは命を落とすことなくピンピンしていたので、8年目くらいで王様がキリスト教に改宗し、アルメニアはキリスト教国家となります。「グレゴリオ」という名はローマ法王に引き継がれ、暦の名としても使われています。

 

考えることが苦手な “ふわスピ系”、「いわしの頭も信心から」の “宗教系” の方は、『愛』という言葉を好みます。『愛』の中でも『無条件の愛』を貴ぶようです。

私自身は三次元の人間社会に『無条件の愛』が存在する余地はないと思っていて、『無条件の愛』を説く人たちに違和感を感じます。

『愛』と呼ぶ以上、『愛』を定義するものがあります。でないと、何のことを『愛』と指し示しているのかすら分かりません。『無私で行なう』とか『相手のためを願う』とか『自分と他者を分け隔てしない』とか、何らかの条件が『愛』の定義づけとして、予めあることを意味しています。

『それは愛からの行為ではありません』と言う人がいるとするならば、『愛』と『愛でないもの』の基準が、その発言者の内部に存在していることが推察されます。このことからも『愛』と『条件』は切っても切れない関係にある、ということが分かります。

『無条件の』という言葉を、形容動詞的に『愛』にかかっていくのではなく、『自分の状況や振り向ける対象を選り好みしない』という意味に捉えてみましょう。

『愛』を定義づける条件はいろいろあるけれど、定義づけされた『愛』を、自分の状況がどうあるかを問わず、すべての人に振り向ける。これって、努力次第でできそうな気もするじゃないですか。しかしやはり、三次元的人間には無理なのですよ。

例えば「その人のためを思って突き放すことも大切だ」という考えがあるとします。ケースバイケースですが、私も8割がた同意する考えです。一方に「その人のありのままを受け入れる」という考えがあるとして、「突き放す」か「ありのままを受け入れる」か、あるいは「受け入れたうえで突き放す」かはその人の、人間としての判断によるものです。判断というのは、比較する条件がなければできない仕組みになっています。

また『愛と呼ばれるもの』が具体的な成果を求める何かであるとするならば、生じた結果が、その行為が『愛』であったかどうかを決めます。『愛とは何かを求めるものではない』とするならば、結果がどの方向に転がっていこうと『その人の愛』とは無関係なので、『愛』を『そのときの私にとって正しい(妥当な/適切な)行為を私は選択した』という表現に変換することができます。

『そのときの私にとって』と表現せざるを得ない時点で、状況や相手による判断基準があることを意味しているので、やはり『この愛』にも何がしかの条件が付いていることが分かります。

人間は、みな『私にとって正しい(妥当な/適切な)選択をした』と思っている(あるいは思っていたい)生き物です。ならば少数の悪意を除き、世の中には『愛』が溢れているはずです。これも『愛』のひとつの定義づけに過ぎませんが、『愛』はすべてを上手く循環させていく原動力なのかと思いきや、「実際のところ、人間にとっての『愛』は、そこまでの成果を上げてはいない」ということに気づきます。

私が「三次元の人間社会に『無条件の愛』が存在する余地はない」と書いたのは、個体性のある『愛』は『無条件』にはなり得ない、という意味です。先日のグルジェフの言葉を借りて言えば、「人間機械は、予め定めた『愛』という定義に基づいた『愛』を受動的な反応として行なうことしかできない」。

「自分が無であることを自覚すること、つまり自分が完全に絶対的に機械的であり、全く救われようがないこと」を観念としてではなく、具体的にイヤと言うほど思い知るところから覚醒の道がスタートする、とグルジェフは述べています。機械の仕組みを超えたところで生きるようになったとき、『無条件の愛』と称されるものを為すことが可能になるのだと私は思います。

冒頭で紹介したグレゴリオさんの逸話。キリスト教の正当性を必ずしも証明するものではなく、「グレゴリオ」という個体性を超えたときに、その存在は超人的な生き方を示すことができる、ということを示すものだと私は捉えます。

道で転んだ人に対し、進んで手を差し伸べるのが『愛』か、あえて差し伸べないのが『愛』か、『私』が差し伸べるのは愛ではないが『イエス・キリスト』ならば転んだ人を踏んづけて通り過ぎるのも愛なのか。個体性を超えない限り、その答えはやってきません。(もう1回くらい、つづくかもしれない)

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