少し前、AC/DCのマルコム・ヤングが亡くなりました。

私、AC/DCが好きでして

追悼的に、過去の動画を見たりしています。

(この話は、今回の記事に直接の関係はありません。しかし間接的に、これを書くきっかけとなっています)



さて過去には、

引きこもりや不登校の人達の

サポートに関わった私ですが

 

現在はそういった方達とも

その親御さん達とも

まったく接点がありません。

 

しかしながら

一時期、関わったテーマなので

ニュースなどで

それに関連したものを見かけると一応読みます。

 

自分達が死んだあと

引きこもった子どもがどうなるのか

を心配されている親御さんが多いみたいですね。

 

親として何が正しい

何が間違っている、はさておき

 

「いい親であろうと、毒親であろうと、子どもを自立させる親は立派です」

 

と私は思いますねえ。

子どもから感謝されなくてもね。

 

今の日本のように

未婚率が上がり

晩婚化が進むと

 

明確な教育方針として

「働くようになったら、出て行ってもらいますからね」

等と親が意思表示しない限り

 

あるいは

「早いところ、出ていこう。こんな家、やってられんわ」

と子どもが見切りをつけない限り

 

親は子どもを家に居続けさせ

子どもは家にそのまま居続ける。

 

そんな路線を歩む家族が

増えているように感じます。

 

親の側にも、子の側にも

一緒に暮らし続けることによって

何かしら都合のよいところがあるんだろうと思うのですが・・・。

 

引きこもりということで言えば

子どもに対して

何か負い目があったり

不憫で放っておけない

何かしらの理由や

思いがあったりする

親御さんが多いように感じていました。

 

その一方で

問題がないように見える家庭であり

「私たちは、きちんと親をやってきた」

と親たちが自負していて

 

子どもたちも人柄に優れ

職業や肩書きなど

社会的な面でも期待通りに育ったけれど

 

子どもは本音では

親のことが大嫌いで

親に対する感謝の気持ちなど

これっぽちもない、

というケースは少なくないです。

 

「いい親をやった」つもりでも

残念ながら、子どもたちは

そのようには認識していない。

それもよくあること

 

子どもにとっての

「いい親」も「毒親」も

 

既に、いい歳に成長した

子どもの近くにいたところで

好影響を与えることはないので

(好影響を与えられると思っているとしたら、それは妄想なので)

 

子どもたちには

頃合いのいいところで

「家からは独立」

「経済的にも精神的にも自立」

してもらうことです。

 

実家からの分離独立を

子どもが手にすることは

 

その子が

創造しうる世界において

いろんな可能性への扉を

主体的に開くことを容易にする

土台を作りますよね~。

 

なーんて考えながら

Youtube でAC/DCを見ているときに

ふと思い出したのがこの方。

高橋竹山さん(初代)。

一時期好きで、よく聴いていました。

(“岩木”は、即興曲なので、その演奏ごとに異なります)

3歳くらいで失明し

小学校ではいじめられ

2日くらいで不登校となり

 

家が貧しかったため

「ボサマ(盲目の門付芸人)」になるよう

親によって

隣町の師匠に送り出されます。

 

そして旅をしながら

人々の家の門で演奏し

米やお金をもらって生きる人になります。

(もちろん、演奏したからって、何かくれるとは限らない)

 

泊まるところのない日は

神社の軒先で雨露をしのぎ

北海道、秋田、青森の冬は

雪も深く、寒さも厳しく

 

愛知で11月末に

エアコンを入れて

ヌクヌクしている

私なんぞの想像が及ばぬほど

大変だったことでしょう。

 

ご本人は亡くなるまで

「おらあ、乞食芸人だ」

と言っていたそうです。

 

生前、密に接して

取材した人によれば

「度胸が据わっていた。この生活に耐えて生き抜く、という達観の中から生まれた楽天性なんですね」

とのことで

 

つまるところ

時代がどうとか

育った環境がどうとか

というよりも

 

「その人自身が、どういう人なのか」

によって

その人生のあり方が左右される

ということは

“普遍的な事実” です。

 

どこまで行っても

「私自身次第」

「あなた自身次第」

な面はある。

 

ただし

口減らし同然に

親が家から出したことで

自立を強いられ

苦労もたくさんしたけれど

 

それがあってこそ

クリエイター、芸術家として

優れた演奏家としての

道が拓かれていくことになったわけです。

 

「あの家は、貧しくて、子どもは目も見えなくて、学校にもよう通わず、親が子どもを放り出して乞食をさせ、まあ気の毒なことよ」

と見るのは簡単ですし

 

親は自分達が

養い続けることができないから

 

子どもの食い扶持を

子ども自身に

確保させようとしただけかもしれません。

 

しかし一方で

目が見えず

学校にも行っていない、

そんな我が子の

“生き抜く可能性” をつなぐため

親として、できうる範囲で

誠に立派な選択をした、とも言えるわけです。

 

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