人間が“あるがままに”生きようとする限り、「探求の道」は不可欠です。その一方で、「宗教」の時代は既に終わったように思います。



「宗教」も、「キリスト教」とか「ヒンズー教」とか「仏教」とか「イスラム教」とか、そういった枠組みに固執せず、境界を超えての共通項で融合された、自由なものへと変わっていくのが自然なのではないでしょうか。

何であれ、あらかじめ(しかも、その多くは大昔に)設置された枠組みを受け入れて、信じることが前提というのは、やはりどこかがおかしい。

極楽浄土に行くとか、天国の門に入るとか、何かを踏み外すと地獄へ落ちるとか、人間のマインドに対し、メリットや恐怖をもって訴えるとしたら、それも変ですね。

それは人間の精神に対するアプローチであって、愛に対するものではないからです。その行為自体が、既に愛から離れています。

「宗教」自体が大きな思い込みから作られた、ブロック(メンタルブロック)みたいなものです。

「宗教」の時代は終わったとは言っても、世の中は、「宗教みたいなもの」に満ちています。「ナントカ教」と名乗っていないだけです。

教祖みたいな経営者と信者みたいな社員、カリスマ的指導者と追随者、親分と子分…。言っていることを「ああそうですか」と精査せずに受け入れていたのでは、構造は「宗教」とちっとも変わりません。

多くの人は、自分の人生に対して怠慢で、真剣ではないのです。ラクな未来を保証してくれそうなものを好みます。いかなるときも、自分の目で見て、感じて、行動していきましょう。他者がどう言うかよりも、自分がどう感じるかの方がずっと大切です。

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