メンタルブロックを外す場合、何らかの感情体験、それに基づく価値判断のくっついた思考を取っていくことになります。



思考はいわばパソコンのプログラムみたいなものですから、何の色付けもされていない場合には情報処理や演算処理をもって、生活のいろんな場面で活躍します。

思考能力がなければ電車にも乗れませんし、計画的に何かを行なうということも難しい。思考は問題の解決という視点からは、力強い味方です。

一方で歪んだ情報処理・演算処理を行なうプログラムを自分の内部に保有していると、ものごとをあるがままに見ることができなくなります。思考という元々はシンプルな回路に、いろんな修正やアップデートを加え歪んだバイアスをかけていくのが感情体験と価値判断です。

こんなときに、こんな思いをした。

とてもイヤな気持ちがした、不快な感情が動いた。

そういうことが今後あってはならない。

これはよい、これはダメ、こんなことには意味がない、自分を守るためにはこうする方がよい・・・。

再び不快な気持ちを感じたくないがために、人間の内部にはそれを避けるようなプログラムが新たに生成されます。すると、ものごとをあるがままに見られなくなります。起こった出来事を自分の思考パターンに当てはめ、そのスクリーンを通して解釈するようになるからです。

出発点は自分を守るため、自分にとって役立つ考え方・対処の仕方だったはずが、知らず知らずのうちに、その人の人生を歪めていきます。

役に立っていない思考ならば、さっさと捨てる方がよいのですが、不思議なことに、人間は生きて同じような体験を繰り返すうちに、その思考パターンすらも自分の一部だと思い込んでしまうようです。

違いますよ、思考パターンとは、本来のあなたとはまったく無関係のものなのです。自分の思考というコンピューターに、どんなパターンをもつOSやプログラムを載せるか/載せないか、どんな風に改変するか/しないかは自分で決められます。

オススメ関連記事: