楽しかったGW、あ~っと言う間に終わってしまいました。

あ~ん、悲しーい ( ;∀;)

連続した2部屋のうち、1部屋はリフォームがほぼ完了。(本日は雨模様なので、暗めに写っています)もう1部屋の壁塗りは、来週いっぱいくらいまでかかりそう。

この休暇中、若干の野菜苗も植えました。

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愛犬は、シャンプーに行ってきたほかは通常通り。

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GWも終わったことですし、記事の更新など。

スピリチュアルな世界では毛嫌いされており、諸悪の根源のような扱いをされております「思考」について。



「思考」が悪いわけではありません。人々の「思考」の使い方/扱い方が、あまりにも残念なレベル/内容なので、人間の成長やら進歩やら進化やらの足を引っ張るものとして見なされ「思考を手放そう」などと提唱されるわけです。

「思考」という素晴らしい道具を与えられているにも関わらず、それを渡されている側が使いこなせていないので「この道具はアカン」と判定される。

あるいは魔法の杖を、部屋の鴨居のつっかえ棒にして洗濯物を干すのと同じくらい、使い方を間違えている。残念ながら、私たちは日頃しょうもないことにばかり「思考」を使っています。すなわち、大きく言えば「解釈」です。正当化、こじつけ、理解、想定、妄想など。

1年くらい前まで、私は今よりももっと阿呆だったので、喜んで「こんなことが起きた」とか「シンクロだ」とかと、ブログに書いたりしておりましたが…。そんなものは、自分にとって都合のよい「解釈」に過ぎません。万が一奇跡だとしても、どうでも良いこと。

上記が、「思考」のしょうもない使い方のひとつの例です。そのように「解釈」することで日々の暮らしが明るいものになるのだとしたら、それについては良いことかもしれませんけどね。(ポジティブシンキングとは、そういった類のものだと思う)

先日「考え抜く瞑想」というのを学びました。(フルフィルメント瞑想とは無関係)

「考え抜く」と表現すると「考え込む」とか「考察する」とかを思い浮かべるかもしれません。しかし、どちらかというと「問いかけ」と「掘り下げ」に近い。そのプロセスで目を逸らせるために使ってきた、自分の「思考や解釈のパターン」に気づき「感じないようにしてきた感情」のフタを開けていきます。

私は「人の課題は思考では解決しない」と思っています。「思考」によって人の課題を解決しようとすることは間違い。「考え」や「考えている自分」を本当の自分と思うのも勘違い。

適切な使い方は「思考で課題そのものを解決しようとするのではなく、思考を道具とし、もぐらの出てきそうな穴のフタを開けていく」というもの。それを続けていくと、ある瞬間、まったく別の意識状態にシフトします。

「思考」って使いようによっては、魔法の杖になる。(その点は、肉体も感情も同じ。なのに「思考」のみが、「あっち行け」扱いされるのは、単に使いこなせていない人が多いから)大抵の場合、今、自分がかくあることを正当化するための解釈(衣装)として使われている。

自分で、自分を迷路に追い込んで、世間体を繕い、自分を誤魔化すことに使われています。だから「要らない」って言われるのよ。「思考」さん、とても気の毒だと思います。

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