ブログの体裁を少し変えてみました。

それに関連したところで、ひとつ記事を書いてみようと思います。

以前流行った引き寄せであるとか、意図を使って具現化するとか、アファメーションを活用して現実を創造するとか、してもよいし、しようと思わなくても勝手に引き寄せて具現化する部分もあるしで、私も否定しているわけではないのです。アファメーションに関しては、現実創造とほぼ関係がないと思っているので、私は元々重視していません。その手の自己暗示が功を奏する場面もあるかもね、程度の認識。アファメーションしなくても十分に叶います。

意識的に引き寄せようとしなくても、「意図のパワーで具現化するぞ」とか力まないでも、勝手に引き寄せ、具現化されるレベルのところで十分納得できるのが、人間として健全なスタンスだと思います。

いわゆる願望実現の手法はマインドの仕組みを活用したものであり、マインドは何かにフォーカスし、フォーカスした部分を拡大していくという役割を果たします。

「この部分(お金とか仕事とか異性とか)が、こうあると私は幸せである」という領域をせっせと拡大していくことで、己の全体性をアンバランスなものにしていく、という性質ももちます。

モロッコに旅行をした後に書いた記事があります。

モロッコから帰ってきました(3)~「成長」と「成熟」

こちらの中で「成長」と表現しているのが、意図的な引き寄せに近いですね。

「『成長のための成長』を、本質的な部分から求めている人は少ない」と書いていますが、得てしてマインドが求めるのは直線的な右肩上がり。「もっともっと」でキリがないうえに、己の全体性のある部分を意図的に拡大しているため、やがて人為的に歪曲させられたことによる、全体性からの逆襲がやってきます。それが起きるのは人生の最期辺りか、死んでからか、来世においてかは人それぞれですけれど、後から自分が引き受けねばならない歪みがどうしても生じるということです。

と書きますと、引き寄せやポジティブシンキング、設定変更などのマインドからのアプローチが大好きな人達には、何かのメンタルブロックの産物、マイナス思考のように見えるのかもしれません。

お金はあるほうがよい、付き合う異性は有形無形の価値をもつ、他者から羨ましがられるような人がよい、仕事はうまく行くほうがよい・・・というように、ある価値基準に沿って何かを獲得しようという、アグレッシブな姿のどこに、何事からも自由で、多様な豊かさの変化球を受け取ることのできる柔らかさがあるのかしら、と思いますね、私は。

上手くいく人生にこそ価値があり、そちらに向かおうとすることで何かを学べる、という信じ込みに偏っている人は、ある面でやや病気です。上手くいく人生にこそ価値があり、そちらに向かおうとすることで何かを学ぶ、というのも、もちろんOKです。しかしそれと同じくらい、上手くいかない人生にも価値があり、その中から何かを学ぶことが十分に可能なのです。

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