今年初めて、3年前に手元にやってきた、黒のクリスマスローズが咲きました。お花というのは、人間の心をワクワクさせる、何かをもっていますね。

さて、私も意識のクリアリングに関する仕事をしているひとりではありますが、「この世のすべては意識で出来ている」とか、「意識や思考がすべて現実化する」とかの “意識原理主義” や “意識万能論” を肯定しません。究極的には意識がすべてのベースかもしれないけれど、この人生での運用上、その考えに偏ることには否定的です。

それらが真に科学的なプロセスを経て証明されているとしたら、物理・哲学・心理などの学術領域の専門家が放っておかず、スピリチュアルや自己啓発の領域に、これまでの学びを拡充しようと参加してくると思います。しかし、そういう現象を目にしたことがないのも理由のひとつ。

人間は、自分の認識パターンでしか、物事を認識できないので、その人が認識した通りのことが、その人にとっての真実である、という意味での「その人の意識=その人にとっての世界や現象」であることについては理解できます。そして実際のところ、それ以上でもそれ以下でもないのですね。



人々は意識の領域を過小評価している

「人々は意識の領域を過小評価している。彼らが想像している以上に、意識の変化/変革が生活にもたらす影響力は大きいし、意識が変わることによって、想像を超えたところで、想像し得なかった変容が起きていく」と、私は思っています。すなわち、意識の領域を活用しきれていない人がとても多い、ということ。

ちょっとした何かが日々少しずつでも変わることで、その次の選択が変わり、その積み重ねで人生において歩む道が変わり、その道中で出会う人達も、やってくる状況(景色)も、以前の自分からは想像できないものになっていく。これは確実に言えることです。

「意識の領域の過小評価」により、(まだ何も得ていないけれど)失うものは大きい。意識を変えることにより実現可能だったことを、無意識のうちに下方修正した人生を歩むことになります。そういう視点から見た場合、「意識は思っている以上に万能に近い」と表現できます。

この世は、意識が即現実化されるような仕組みをもっていない

一方で、例えばアルゼンチンの、その存在すら知らない山中に、どこかの犬がウ〇チをしたのも、私の意識の現実化だ、といったタイプのオハナシには、あまり共感/同意しません。アルゼンチンの犬のウ〇チが、どこかの戦争や自然災害に置き換わったとしても、です。集合的無意識を通じて関わりを共有しているとしても、実際には、個としての私の意識や無意識以外が現象を生じさせているケースもあって、“自分原因” ではないことも多々あるんですよね。

2018年のパラリンピック男子スーパー大回転(立位)で、スイスの選手が金メダルを獲りました。この世で起きていることですからね、彼が障害を負ったのも、金メダルを獲ったのも、私の意識の反映なんですよ、実はまったく知らない人ですけれどね、っていう理屈、自分の人生を生きる上で役に立ちますか?でも、この世で目にする(あるいは地球の裏側で起きていて気づかなくても)、すべての事象に個人の意識や思考が反映されているとしたら、そういう表現になるのです(「一切の例外がない」とは、すなわちそういうこと)。しかし当たり前の思考によれば、今回の金メダルは、当人の努力と、周囲のサポートの成果です。

アストラル界では、思ったことがすぐに現実化されるのかもしれません。

しかし、物質現象界には、また別の法則があり、それらも現実に対して影響を与えています。縁起(「他との関係が縁となって生起すること。一切の存在は縁起によって成立し、 それ自身の本性、本質または実体といったものは存在しない」―コトバンクより)や、因に縁が触れることによって潜んでいたカルマが発動することがあるし、自分の意識や意思や意図だけで、物事が生じ、動くわけではありません。

何より、物質現象界で学ぶことがあるから、肉体をもって生まれてきているわけでして、そうでなければ、何でもすぐに現実化するアストラル界辺りで楽しく過ごしていればよかったのです。

先にも書きました通り、「人々は意識の領域を過小評価している。彼らが想像している以上に、意識の変化/変革が生活にもたらす影響力は大きいし、意識が変わることによって、想像を超えたところで、想像し得なかった変容が起きていく」というのは、瞑想や意識のクリアリング(自己観察)を通じて実感しています。ある領域までは、半ば惰性に堕ちた瞑想でも、自己統制的な意識のクリアリングでも到達することができます。

この世で意識が現実化する、もうひとつのパターン

この世において、何かひとつを意識化したり、言葉にしたりすることで、即現実化へと動いていくのは、ある水準を超えた意識状態にある人、またそのような状態にあるときだろうと思います。例えば、自分の意識が、宇宙の意識とひとつになり、分かちがたくなってしまえば可能でしょう。カルマがあっても、個人が消えることによって、その影響を受けにくくなり、縁起が、宇宙にとっても個人にとっても自然な流れ(ダルマ)として起きてくるようになります。

引き寄せ等にハマる人達には、この世的、モノ的な獲得を好む人が多いような気がします。代表的なのが、社会的成功、経済的(物質的)成功、ベストパートナー、加えて健康ですかね。思い通りになる楽しい人生がよい、と。まあ、分からんでもない(笑)

意識を使って努力を試みる彼らが、意識を使った現実化において「『地上』に近いところにいる」とするならば、「地上の意識を踏まえつつも、地上の意識を超越したところにいて、全体(宇宙)のなかで個(の役割)を探究している」のが、「『天上』に近いところで、肩に力を入れずに全体や個の意識を現実化している人達」と言えるでしょう。後者は、この世の見えない部分を支え、有と無、全体と個が交錯し、融合したポジションで生きています。

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