2日間、東京に滞在しました。

弟が、あさりとあおさの炊き込みご飯を作り、おすそ分けしてくれました(私は既に夕食を済ませた後だったので)。

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今回も瞑想の学び。

「観る自分と観られる自分に関する瞑想」「大いなるものに心を向ける瞑想」がテーマ。

 

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私、フルフィルメント瞑想教師のひとりなのですが、その枠組みを離れての学びもよいですね。

と言いますか、大変に貴重な機会と思います。

フルフィルメント瞑想を

さらに高いところから俯瞰することができますし

瞑想歴4~50年級の人も少なくなく

瞑想の世界の奥の深さを知るきっかけにもなります。

私は「井の中の蛙」にすらなれておりませんが

「井の中の蛙」であればよい(それだけで十分に世の中に貢献できる)のは、一握りの「天才」のみと思います。

 

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さて、タイトルにも書いた「思考と波動の関係」。

特に証明する手段はないので

以下は私の主観的なものとして読んでください。

 

今回2日にわたって参加したセミナーのなかで

「思考とか理性とか知性とかと言われるものにも

相当なレベルの違いと幅がある」ということを、改めて学びました。

 

マインドや精神の一部とされる

「思考」や「理性」

そして「知性」は

なぜかスピリチュアルの世界では嫌われているか

「ハート」に比較して、低いものとされています。



「思考とか理性とか知性とかと言われるものにも、相当なレベルの違いと幅がある(エゴマインドから、神に近い領域のものまである)」

ということを不勉強&体験不足で知らないか

そういった事実が

ないことにしておくほうが都合がよいのか分かりません。

 

しかし思考や理性

そして知性には

レベルの低いものから

非常に高いものまである、ということは大いに見過ごされています。

(高次の体験は、言葉で表現できるようなものではないはずなので、思考や理性が人間のもっている働きのなかで、最も高い、ということではありません。あまりにも低く見積もられ過ぎなだけ)

 

ここからは私の体験に基づく推測です。

「思考とか理性とか知性とかと言われるものにも、相当なレベルの違いと幅がある」

ので、同じようなことを言うとしても、どんな人が言うかによって、伝わる波動には違いがあります。

 

スピリチュアルな世界に足を突っ込んでいる人、関心のある人には

「A.実際の体験に基づかない講釈(どこかで聞いたこと)を垂れる人」

「B.実体験があって、それを説明するツールとして言語と思考のシステム(枠組み)を使う人」

という、大きくいって、2つのタイプがいるように感じます。

 

Aのタイプの人の話を

理解しようと真剣に聞くと

なぜか私の波動が下がるのですよ。

 

珍妙・奇妙なことが続けて起こるので

こちらが波動を合わせることで「何かを取り込んだのだな」と思います。

 

逆に、Bのタイプから

同じような理屈・理論を聞いたとしても

相手の波動が高ければ、こちらの波動も上がります(引き上げてくれる)。

 

体験に基づかない考えを

あたかも自分にとっての

現実や真実であるかのように

自分の中に取り込み

そこをベースに生きると

 

波動は

あるレベル以上に高くはならないし

むしろ低くとどまるかもしれない。

 

それに対し

波動や霊性の高い体験をもっている人が

そこをベースに生き

思考というシステムを用いて

それを言語化し

他者と共有する分には

思考や理性が

その人や他者の成長の足を引っ張るということはないように感じます。

 

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