10月に入るか

入らないか

という辺りから

私の生活は

ガラッと変わりました。

 

「生活がガラッと変わる」

ということは

「意識が大きく変わった」

ということでもあります。



目に見えて

分かりやすいところで言えば

●時間の使い方

●身体の扱い方

●食事の摂り方

などが変化しました。

 

一日の半分は

「英語の学び直し」。

もう半分は

「瞑想や行法」

に費やしています。

 

今年の前半

かなり身を粉にして働いたので

残りの3カ月は

のんびり過ごそう、

という気持ちもあります。

 

しかし

それが現在

こうあることに対する

深いところにある本音ではない気がします。

 

英語の学び直しをしたとしても

使うあてはなく

 

今のところ

アクセスのアメリカ本部に

ファシリテーター資格の

有効期限について

問い合わせをした程度です。

 

20年くらい前

アメリカの大学院で学びたい

いう漠然とした夢を抱き

通信教材を申し込んだときは

英語の学習がまったく進みませんでした。

(よって挫折。当時、仕事があまりにも忙しかった、ということもある)

 

しかし今回は

「学び直し」が

既定のことのように

10月からカッチリと

生活パターンへ反映されています。

(よく分かりませんが、今後役立つ場面があるのかもしれません)

 

あんなに苦手で

嫌いだった

自分の身体についても

愛おしく探究しようという

気持ちになり

以前よりは丁寧に扱っています。

 

そのように意識が変化すると

身体の変化にも敏感になりますね。

 

私は

「お金を払って習いに行く方法が続かず」

「ひとりでマイペースならばボチボチやっていける」

というタイプです

(一般的には逆のケースが多いような気もしますが)

 

私は現在、引き寄せに関心がありません。

 

そんな私が

世で言われている

引き寄せについて考えてみますに

「人間が自覚的意図をもって何かを引き寄せているケース」

は、実はそれほどなく

「自分の内側の流れを意識し、それに沿うようにあると、外側に対して見るもの/選択するものが変わる」

というのが、より適切な表現になるのではないかと思います。

(「お金よ、やってこい」とか、「イイ男よ、こっちに来なさい」とかを念じて、果たしてそうなっているのですか?って話です)

 

ハッピーなことも

アンラッキーなことも

好きなタイプの人も

苦手なタイプの人も

日本語だけ話せればよいという世界も

英語も話したいという世界も

自分の身体が苦手という世界も

自分の身体が愛おしいという世界も

 

人生全体としての

日々の流れのなかに

すべて公平に

含まれています。

 

自分の内側の流れに対して

忠実であるとき

「引き寄せるものが変わる」のではなく

「見るもの/選択するものが変わる」のです。

 

素敵な異性も

その反対の異性も

公平性をもって

世の中に存在しているけれど

 

意識が変わったことで

「素敵な異性を引き寄せる」

というよりは

「素敵な異性に気づきやすくなる」

「その反対の(変な)異性が視界に入らなくなる/そういう人を選択しなくなる」

ということだと思います。

 

引き寄せとは

自分の意識を上手く使うことによって

外側の流れを変えるもののように

捉えられがちですが

 

実際には

外側の流れ自体は

これといって変化していない、

ということに

注意深くあると気づきます。

 

「今までもあった」ことに

気がつかなかったのであり

 

内側の流れに忠実になると

目の前にありながらも

気づいてこなかったものが可視化され

自分の内側に

よりフィットするもの

深いところが必要とするもの

を選択しやすくなります。

(とか、書いていたら、新しいプロジェクトのオファーがやってきた。11月は、英語の勉強に時間を取れなくなるのかなあ)

 

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