外壁と屋根の塗装工事が始まりました。工事に際し、近隣の方々のご協力の温かさには感じ入るものがあります。

本日、業者さんは足場組み。私はキッチンの換気扇交換。新しい換気扇は気持ちが良いのう~。今まで使っていたのが松下電工のものだったので、メーカーに電話して後継機種を聞き、それを通販最安値で購入。今にして思えば、ホームセンターで売っているような「知名度は低いけれどお安め」な製品でも違いはなかったのかも。

さて、比較的最近見た映画「SWEET SIXTEEN」とドラマ「HAPPY VALLEY」につきまして。

「SWEET SIXTEEN」は、先の記事で触れた「ライン・オブ・デューティー」においてスティーブ・アーノットを演じた、マーティン・コムストンのデビュー作です。巨匠とされるケン・ローチ監督。カンヌ国際映画祭、コンペティション部門で脚本賞を得た作品。

マーティン・コムストンは当時17歳。プロサッカーチームと契約した直後でしたが、この作品への出演をきっかけに俳優の道を歩むことになります。天が二物以上を与えたと言いますか、17歳にしてプロサッカー選手か役者か、という贅沢な選択を迫られた人。デビュー作の演技もみずみずしくて存在感があり、役者の道を選んでよかったのでは(サッカー選手としてスターになるほうが、彼にとっては難しそう)。ちなみに「SWEET SIXTEEN」のキャッチコピーは「心がヒリヒリしている」です。

Wikipediaのあらすじを引用すると(カッコ内は私の注記)「もうすぐ16歳になるリアムは、学校にも行かず、毎日親友のピンボールと遊んで暮らしていた。リアムの母ジーンは、麻薬の売人でもある恋人スタンの犯罪を庇ったために刑務所に入っていた。そんな彼の夢は、父親(※スタンのこと?)とおじ(※ではなく祖父)を除いた家族のみんなで湖畔にある新しい家に住むことだった。なんとか数週間後の母親の出所までに手付金を稼ごうと頑張るリアムだったが、必死のあまりスタンの麻薬を盗んで捌くようになる」。

服役中の母とその情夫スタンを引き離し、自分や姉(シングルマザー)と共に、家族としての絆を大切にしつつ、眺望の素敵な家で出所後の母の新しい生活をスタートさせることが、リアムの夢でした。つまり「持っている家庭が、当たり前のように持っているもの」が欠けているのが、彼の育った家庭であり、彼の家族だったということです。

家の手付金を稼ぐ手段が、母の情夫スタンの麻薬をくすねての売人。もうすぐ16歳の子が、多額の資金を稼ぐにおいて(その目論み自体が、そもそも荒唐無稽な願望なわけですが、それを指摘して目を覚まさせる役割の人が周囲にいない)、憎んでいるスタンの商品を盗み、彼と同じ商売を始める、という辺りが「彼の育ち(⇒それまでの人生や環境から学習してきたこと)」であり「彼の想像力の限界(⇒成長する過程で、見聞きすることのできなかった世界が何であるか)」を顕しています。

いっぱしの大人の男のように、オシャレなスーツで身を固め、ちょっと緊張しながら、母の出所を車で迎えに行く彼は、憎き疑似父(スタン)との間で、母を取り合う “エディプスコンプレックス” の体現者でもあります。

悲しいかな、母は愚かな女なので、わずか16歳の息子が自分のために満身創痍でお金を稼ぎ、新たに住む家まで用意したにも関わらず、情夫スタンの元へと姿を消してしまいます(残念なことに、母は息子がしてくれたようなことを求めてはいなかった、ってこと)。

DVDの特典映像のひとつにTVスポットがあり、ナントカという日本の映画監督が「超泣ける映画です」みたいなことを言っていました。主人公をとても気の毒に思うけれど、映画として、どこが泣けるのかね???私も50年以上生きてきて、キャッチコピーの「心がヒリヒリする」思春期の渇望や焦燥や痛みも体験上分かるのですが、「超泣ける」とは、少年の、母や家族に関する夢や幸せに対する一途な気持ち、それらを得るために覚悟をもって進んでいったことについてでしょうか?それとも、それらのどれも叶わなかったこと、その代償の大きさに対してでしょうか?よく分からん。

主人公リアムに感情移入すると号泣映画になるのかもですが「叶わないことには、叶わない理由がある(結果のほうが先にあるので、何をどうしてもそういう結果に導かれる)」というふうに私には見えます(←「結果のほうが先にある」とは「映画なのだから、あらかじめ結論、決まった筋書きや落としどころがある」という意味ではありません)。したがって映画を観ていて、特に不条理を感じません。不条理というものがあるとすれば、彼が生まれた家庭や社会環境という人生の出発点に関してでしょうか。リアムやその姉のシャンテールは、環境が良くなかっただけで素地は利発です(彼らの母は愚鈍ですが)。

レビューでは「ケン・ローチの最高傑作」という評価も多かったと思います。ひょっとしたら傑作なのかもね。いい映画と思いますよ(私も☆4つ以上付けると思う)。スコットランドの風景のなかでも、さびれた感じの街並み、日常などを淡々と描写しています。

一方の「HAPPY VALLEY」。イギリスBBCのドラマです。

子供を産んで間もなく自殺した娘をもつ巡査部長キャサリン。亡き娘の遺した男の子(キャサリンからすると孫にあたる)と暮らしています。職務上のひょんなことから、亡き娘の子供の父親であるサイコパス(トミー)を追うこととなり、彼女も「SWEET SIXTEEN」のリアム同様、満身創痍となりつつも、憎きトミーを刑務所にブチ込むのですが…。

トミーは気持ちの悪いサイコパスなので、図式としては「キャサリン=良き者」「トミー=悪しき者」みたいに見えますが、本当にそうなんですかね。

タイトルを「海外ドラマや映画から『認知の歪み』を考えてみる」としながら、「認知の歪み」の話にちっとも行きつきませんが、「SWEET SIXTEEN」のリアムもその母も情夫も友達のピンボールも、「HAPPY VALLEY」の巡査部長キャサリンもサイコパスのトミーも、みんな「認知が歪んでいる」んですよ。

「認知の歪み」とは、Wikipediaから引用すると「誇張的で非合理的な思考パターンを意味し、これらは精神病理状態(とりわけ抑うつや不安)を永続化させうるとされている」となります。その説明を前提にすると、あたかも病的な人に(偏って)生じるかのような「認知の歪み」。それがあることで、メンタルな問題へ発展するかのような「認知の歪み」。しかし普通に見える人達にも「認知の歪み」はたくさんあります。リアムも学校からドロップアウトしていますが、元々の素顔は普通の少年です。

↑「HAPPY VALLEY」で巡査部長キャサリンを演じるサラ・ランカシャーは私と同い年。彼女がドラマのなかで鼻水を垂らし、ティシュでかみかみしながら泣く姿、トミー役のジェームス・ノートンが、坊主頭の頭皮まで真っ赤にしながら泣きじゃくる姿を観ると、イギリスの俳優ってすごいよな~と思うと同時に、あまりにも見事に演じ切るがゆえ、役者である彼女ら自身がソシオパスやサイコパスにも見えてきます。(そのうち、つづく)

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