外壁と屋根の塗装工事に伴い、現在足場が組まれているので、ときどき上ります。2階や屋根裏部屋の網戸を外し、張替えまくっています。6枚目まで終わりました。掌に水膨れができました(笑)

さて「SWEET SIXTEEN」の主人公リアムは、服役している母の出所後、母の情夫である麻薬の売人スタンから母を切り離し、自分の姉とその子供を含む一家4人で新しい家に住まうことを夢見ます。と言うか、そのように決めます。いわゆるトレーラーハウスです。現在のレートで無理矢理換算すると「6000ポンド=約86万円」で売りに出されていました。16歳を目前に控えた少年は、この約86万円を約2カ月で稼ぎ出すため、母の情夫の麻薬を盗んで売ることを思いつき、実行に移します。

そのトレーラーハウスが立地を含め、彼にとっての “パラダイス” の象徴だったからです。幼かったり、若かったりという頃は、現実離れした壮大な夢を持つことがよくあり、その壮大な夢には後ろ盾も根拠もないのですが、なぜか実現するかのように思い込んでいる、そんな傾向があります。実際のところ、子どもの頃の現実味に欠ける夢想を、大人になってから実現する人もいて、周囲から冒険者、開拓者、発明家と呼ばれたりします。

メンタルが未成熟な者にありがちなこととして「自分の夢」を「自分が執着している人にとっての夢」に結びつける、自分の願望を他者の願望と取り違える、ということがあります。例えば、その派生のひとつが “ストーカー” と呼ばれる人達だったりします。「SWEET SIXTEEN」の場合は、母親の幸せのあり方を息子が想定しますが、親が「こういうのが自分の子供にとっての幸せ」と思い込んで主導するパターンは、世の中にいくらでもあります。

リアムの場合は「景観のよい、部屋がいくつもあるキレイな家で、家族4人で暮らし、新しい生活をスタートすることが、母にとってのパラダイス」であると信じていました。しかし、それは彼の願望に過ぎず、母には母にとってのパラダイスや幸せの形が別にあり、そういう現実に気づかないのが「若さ」であり、動機に罪はないにせよ「想像力の欠如」であり、もっと広く見れば「認知の歪み」なわけです。

コンパクトにまとまっているので「認知の歪み」について、Wikipediaから引用します。以下にあるのは狭義での「認知の歪み」と思います。ざっくり表現すると、自分や他者について極端な、あるいは合理性に欠けるネガティブな思い込みやジャッジメントをもつことですね。ネガティブの裏には常にポジティブがあるから、何かを極端にポジティブに支持するというのも「認知の歪み」と言ってよいのではないかと個人的には感じます。

バーンズは以下の10パターンを挙げている。

①全か無かの思考 
②行き過ぎた一般化   
③心のフィルター 
④マイナス思考
⑤論理の飛躍   
⑥拡大解釈、過小解釈
⑦感情の理由づけ   
⑧~すべき思考 
⑨レッテル貼り 
⑩誤った自己責任化(個人化) 

例えば “ストーカー” のもつ「認知の歪み」に関しては、ケースが極端なので「歪んでいること」について多くの人が納得します。しかし、ごく普通の人に見えても、小さなものまで幅広く含めれば「広義での認知の歪み」がいろいろあるものです。

15~6歳の子が無理して稼いだ86万円でトレーラーハウスを購入しなくても、家族の再スタートと絆の構築にはいろんな経路がありうるのですが、リアムにしてみれば「あの家を買う」と決めたら「あの家」でなくてはならず、「母の出所までに購入しないと意味がない」のです。夢のマイホームで一家4人の生活を始めることで、家族みんなが幸せな人生へと転換できると考えています。結構なレベルでの “全か無かの思考” “論理の飛躍” です。実際には、マフィアの親分に見込まれたリアムに裏切られたと誤解した親友のピンボールによって放火されて全焼、交換条件付きで親分所有の部屋を融通してもらい、そこに住むことになります。

リアムにとって、シングルマザーの姉シャンテールは、服役中の愚鈍な生母よりずっと母のような存在(あるいは役割)です。シャンテールはリアムに「学校に戻れないのであれば、自分のように講座に通いなさい。16歳になったら仕事ももらえるから」と勧めます。シャンテールは生母に何の期待もないを通り越し、心底絶望していて、自分の母親を嫌っていますが、リアムはそんなシャンテールに対し「家族で暮らそう」と説得を試みます。息子である自分が購入した家に、子どもたちと住まうことを「母が喜ばないはずがない」という思い込みがあります。

シャンテールは、麻薬や母の情夫スタン絡みの暴力沙汰で、たびたび怪我をするリアムを介抱しながら、かつて姉弟で養護施設で暮らしていたとき「お前の母親はどこだ」とからかわれ、腕を骨折しても笑いながら闘いを挑み続けたリアムについて言及します。

「みんなはお前のことを『勇気がある』と言ったけれど、あれは勇気じゃない。自分を捨てていただけ。それが悲しいの。自分を大切にして欲しい」

“自暴自棄” を “勇気” や “男気” と見なすのはヤンキー的な世界観であり、そこを前提として生きる以上は、今後の人生においても同じパターンを繰り返す、それをシャンテールは指摘したわけです。この姉は何かと聡明なのですよ。でも極端な夢を抱き、それが自分や母を幸せに導くと思い込んでいるリアムには後戻りができない。

結局、出所した母は情夫の元に行ってしまうし、母の情夫をナイフで刺してしまう展開になるしで、その他諸々を含め、陳腐な表現ですが散々な目に遭うリアム。警察に追われ、充電切れ間近の携帯電話をもつ彼に、姉のシャンテールは告げます。「あなたを愛しているわ」。心身共に追い詰められ、どうしたらよいのか分からなくなったリアムは、目の前の海に向かって歩き出します。…というところで映画は終わり。

TVスポットで日本の映画監督が「超泣けます」と言っていたのは、基本的にはシンプルで善であるはずの動機が、世の中から受け入れられがたい手段で成し遂げられようとする、そういうやり方しか思いつくことのできなかった少年の儚い美しさ、そんな彼が光を信じ闇に生きている姿に対するやりきれなさ、悲しさについてなのかもしれません(私にとっては泣けない映画なので単なる推測)。

この映画のテーマ曲的存在の “I’ll Stand By You”(私はあなたの味方)。The Pretenders は私の好きなバンドのひとつです。クリッシー・ハインドはかっこいい女。

(そのうち、つづく)

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