このところ、ギリギリになるまでいろんな準備に着手できないことが多くなっている私です。

昔は、何日も前から準備万端な人だったのですが。

明日の出張の準備をしなくてはなりませんが、その前に一記事書いておきますか。



…ということで、テーマは「真我と過去生」。

それを書きたい、ということではなく、書くと決めてから後付け設定したようなものです。でも、書きたいから書いているんでしょうね。

私は過去生を「ある」と思っています。それは、死後の世界、天のヒエラルキーや、そこで起きていることのあれこれや、いろんな過去生を覚えているからなのですが…。

あるとき、とある信頼する方と話をしていたときのこと。

「いわゆる過去生とは、そのとき波長のあった想念のエレメントを拾ってきているだけで、その人の過去生かどうかは別のこと。その人の真我が、その人とともにあって生きた生以外は過去生とは言えない」と言われました。

なるほどね、と思いました。

私たちは、常にゆらぎのなかで生きており、多くの場合、真我から離れた状態を浮遊しています。それを「自分」と思って生きているわけです。

真我とともにある一瞬もあれば、そうでないときもある。真我とともになければ(真我は常にここにありますが、そうでない、そこから逸れた意識層を生きている場合)それを「本当の自分」とは言えません。

真我とは別の次元を生きている、いわばエレメンタルなエネルギーを自分と思い込んで生きるようなもの。

「本当の自分」ではない生は、過去生のように見えはしても、過去生のうちには入らない、ということだろうと思います。

意識の階層のどこかを浮遊する「自分らしきもの」が、浮遊しているエレメントをキャッチして「自分の」過去生と思っていることも多いようです。

想念のエレメントは、日夜膨大な量が生み出され、どんどん地上にエネルギーとして蓄積され、放っておくと、飽和状態になるので、人々が作り続けているエレメントを消していくワークを地道に行なっている人たちや、存在がいるとおっしゃっていました。(そういう方は、表舞台に姿を見せないようですが)

しかし、例えば瞑想にも想念のエレメントを消していく作用があります。集合的なカルマを解放していっています。(なので、瞑想をしている人は、世の中に貢献しているのです)

想念のエレメントって何?と思われる方は、Facebookのフィードの流れにも見られる、知っている人から知らない人まで、いろんな方の想念の集積場のあの感じをイメージしていただくと、何となくご理解いただけるのでは。

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