セッションを通じて感じるのは、どこかしら私と同じような境遇・トラウマ・プロセスをもつ方たちが、私のところにやってくる、ということです。



つまり、母親がとても支配的であり、自分を殺して生きてきたとか、自分を開示・表現したいけれど、どうしていいのか分からないとか、それほど感情のアップダウンがなく比較的同じところに安定しているので、そうでない人たちのことがよく分からないとか、とにかく自立的に生きていかねばという思いが強く、他者のサポートを受け入れることに抵抗がある、とか、そういった方たちです。

私の場合、母親がキョーレツな支配キャラだったこともあり、長く、強迫神経症がありました。医者にかかったことがありませんので、そのように診断されたことはありませんが恐らく、そういう診断を受けたことと思います。

親が気づいていたかどうかは分かりません。

小学校高学年の頃から、道を歩くときマンホールのフタの中心をすべて踏まないといられない、道は直角に曲がらないと気が済まない。そんなふうになりました。手や指や顎を一定のルールに従って動かさずにはいられない、そんなチック的な症状もありました。意味のない儀式的な行為に対する、根拠なきこだわりがすごいのです。

理由はありません。でも、「しないとダメ」という声が、私のなかにあるんですね。

大学に入学するために上京しましたが、どこで何をしていても空中から母親が私を見張っているように感じました。私のなかの見えない母親が、私の行動や意思をコントロールしていました。それでも大枠で見れば、私は問題のない子供だったんです。

子供の頃から成績がよく、親の期待によく応え、地元の進学校を出て東京の有名大学に入学。卒業して、それなりに有名な企業に就職。社会人になってからも仕事面(「この仕事でいいのか」という疑問)や対人関係における不器用さなど、内面には相当な葛藤がありましたが、その後は仕事においても独立し経済的にも問題がない。

でも、自分で自分を見た場合、問題はアリアリで、「よく頑張ってきたな、自分」なんですよね。現在は、そんな日々が本当にあったのかというくらいに現実感がなく、思い出すこともほとんどありません。

今でも長年やってきた“頑張り癖”がときどき顔を出しますし「人に頼むより、自分でやったほうが早いわ」という自立心が旺盛です。「出来てしまう自分が好き」ということもあるかな。

でも、ここから先は流れに任せていこうと思います。頑張らなくても、仕事においても、プライベートでも、縁ある人たちは私を見つけます。そんな実感が、日々あります。

あるヨギの自叙伝」という本があります。とても面白いですよ。これを読むと、出会いは必然、別れも必然。流れを止めなければ、必要なものはすべて向こうからやってくるということが分かります。私の身に日々起きることも、同様です。

いろんな出来事に意味付けを行なうことは可能ですが、その本質は「ただ流れているだけ」。その日、その日を大切に、味わって生きる、それがすべてですね。

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